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自分を正す

日時: 2015年07月28日

日々、何事においても、やりがいをもって充実した時間を過ごしたいと思っているのに、職場や家庭で、様々な出来事があり、喜んだり幸せだなあと感じる事もあれば、どうしてこうなってしまうのだろう?と頭を抱えることもあります。

自分で上手くいかないな、と思う時は、つい相手や周りのせいにしてしまい、その自覚がないまま自己防衛をしてしまい、結局自分を追いつめてしまう結果になってしまっています。
それを感じる度に「日々、試練だなあ」と自分を奮い立たせるようにしてきました。

そんなことを考えている時、ある月刊誌の記事に目がとまりました。

タイトルは「まず自分を正すことを先にする」というものでした。

その内容は『中庸』という古典からいくつかの言葉を抜粋し解釈がしてありその中の一つに「己を正しくして人に求めざれば、則ち怨み無し。上天(かみてん)を怨みず、下人(しもひと)をとがめず」とありました。

その意味は

自分自身を正して人に求めなければ、怨みに思うこともない。
認められないということは、相手が悪いからではなく、自分自身が十分ではないからと考える。
天を怨んだり人を咎めたりせず、まず自分を正すことが先であるという事とありました。
今まで生きてきた中でどれだけ沢山の方々に見守られ、支えられてきたことか。

自分の人生を振り返ってみると、どの年代でも一生懸命生きてきましたが、未熟な故に素直に自分の不足を認め、周りの方の厳しい言葉に隠された愛情に気づけないことも多々ありました。

失敗も沢山経験し痛い思いをしたからこそ、忘れられない教訓として残り、今、平穏な暮らしをさせていただいているのだとつくづく実感しています。

今までの経験や教えて頂いた事を活かして、さらに今後もっと向上し人間力を上げていくために、全ては自分が十分でないからということを素直に受け入れて、まず、自分から変わろうと思いました。
『中庸』には他にも

「君子は易きに居(お)りて以て命(めい)を俟(ま)ち」と説かれています。

「易きに居り」というのは人間にはちゃんと踏み行うべきルールがあるということ。

「命を俟ち」とは天命を待つ、天に任せるという意味です。
以下、解釈について、記事を抜粋させていただくと

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君子、即ち立派な人間は、いかなる場合でも自分のやるべきことを道に適うようにまっしぐらにやっていく。
そうすれば天命が下ってくるということです。

「小人(しょうじん)は険(けん)を行いて幸いを徼(もと)む」

ところが小人、つまり普通の人、あるいはつまらない人物はそのルールを踏み外し、わざわざ危険な道を通ってそこから幸を求める。

それによって一時は上手くいっても思いがけない落とし穴に落ちてしまいます。

世間でもてはやされていた人が、一瞬にしてその地位や富を失ってしまうことがよくあります。
これぐらいはと軽く考えて険を行い、たまたま上手くいっても、それが度重なればいずれ露見してしまいます。

易きに居りて進むことは遅いようであっても最終的には安全にして天を楽しむ安楽な生活に連なっているのです。

中略

不都合なことに見舞われても、その原因を外に求めたり、他者を咎めたりすることなく、まず自分の至らなさを反省し一層精進を重ねていく。そういう立派な人物を目指してゆきたいものです。

~~論語普及会 伊與田覺 解釈~~

これを読んで、私は小さい頃、よく「お天道さんが見ているよ。神様が見ているよ」と祖父母や両親、周りの大人から、してはいけないことを教えてもらったことを思い出しました。

いつも自分の心を知っているのは自分だけなので、自分に嘘をつかず恥ずかしくないような生き方をしていかないとそれこそ罰が当たると思いました。

自分自身を振り返ってみて、自分の至らなさに対して、謙虚でなかったり、反省が足りず努力していない自覚があると心が貧しくなり、自分にとって不都合なことを周りのせいにしてしまうのだと思いました。

常に職場において、朝礼や勉強会を通して「いつからでも遅くない。今からでも心を清らかにしていけば生き方は変えられる」と教えて頂いているように、気付かせて頂いたその時から心を切り替えて清らかな生き方をしていき、どんな事に出会ってもまず自分の不足、至らなさを反省、改善して、自分から正していきたいと思います。