有限会社 エステート・リード

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やる気×熱意×考え方

日時: 2019年01月28日

A・Y

2019年が始まりもう1月が終わると思うと、月日が流れるのは早いなと感じています。
今年は「業務の時間の効率を上げる」「昨年立てて未達成になってしまった資格の勉強に取り組み、試験に挑戦する」と目標を立てました。

決めた理由は、要領が悪く無駄な時間を使っていることで1つの業務に対して、時間がかかってしまい遅くなっていると思ったからです。
もう1つは、昨年未達成に終ってしまったので今年こそは!という気持ちで、合格出来ることが1番ですがまず試験に挑戦出来るように勉強に取り組もうと思いました。

「1年の始まりだからしっかり目標を立てよう」と、今だけのやる気にならないように気をつけて、年末に目標達成出来たと言えるように頑張りたいと思っています。

こうして今年のことを考えているときに、下記の稲盛和夫さんの言葉をインターネットで読みました。

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人生・仕事の結果は、考え方×熱意×能力という一つの方程式で表すことができます。
「能力」とは、知能や運動神経、あるいは健康などがこれにあたり、両親あるいは天から与えられたものです。
「能力」に「熱意」という要素が掛かってきます。これも、やる気や覇気のまったくない、無気力で自堕落な人間から、人生や仕事に対して燃えるような情熱を抱き、懸命に努力を重ねる人間まで、やはり個人差があります。
これに「考え方」が掛かってきます。掛け算ですから、マイナスの考え方を持っていれば、「能力」があればあるほど、「熱意」が強ければ強いほど、大きなマイナスになってしまいますプラスの「考え方」を持っていれば、人生・仕事の結果は、さらに高いプラスの値となるのです

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両親や天から与えられた身体があって、また周りの皆さんに支えて頂いて今の自分があることに感謝をして自分を活かしていかなければいけないと思います。

与えられた能力を活かすということは、出来事にまず挑戦することだと感じました。
そこに必ず達成しようと強い熱意が掛けられれば、目標の過程で、もし上手くいかないなとマイナスに感じる時があっても、「それだったら何で自分は上手くいかないと感じているのだろう?」と振り返り出来るようになる為に「あの時こうしていたら良かったのではないか。じゃ、次からは変えて取り組んでみよう」とプラスの思考で改善を考えることが出来ると思いました。

反省が反省で終わるのではなく、どうすれば良かったのか、出来るようになるのかを深堀して検証し実行してクリアしていくことが、考え方を掛け算にするということなんだと思いました。
記事にも書いてあったように、掛け算なので、マイナスの掛け算で大きくならないようプラスのエネルギーが掛け算膨らむようにいつも自分自身と真剣に丁寧に向き合っていきたいです。

仕事も人生(自分自身)も更に幅を広げて上げていけるようになりたいと思いました。



生き生きとした人生を送るために

日時: 2015年12月24日

平 美穂

師走に入り、世間では年末恒例の「今年を表す漢字」や「今年を代表する出来事」などのニュースで賑わっています。


私もこの一年を振り返ってみると、職場で毎朝行われる朝礼、毎月行われる勉強会や、弊社のホームページでアップしていただいている社員のブログなどを通じて、沢山の素晴らしい言葉や文章に出合わせていただいたなと思いました。

自分なりに感じることだけでなく、皆さんの意見などを聞くことによって、物事は自分の見方だけでなく、人によって様々な見方や捉え方があるということを知り、自分にはない感性や考えを学ばせていただきました。


鈴木秀子氏 (国際コミュニオン学会名誉会長)の書かれた書籍に人の見方は様々で、それを知った上で自分の主張することを伝える、というものがあったことを思い出し

もう一度読み返してみました。


それは鈴木氏が芥川龍之介の短編小説「沼地」を読まれて感銘を受けられたことが書かれたもので「私たちが明るくいきいきとした人生を送ろうと思ったら、先入観なしに相手を受け入れ、自分が正しいと思ったことをはっきり伝える勇気と寛容さが必要です。」という言葉がありました。


最初にこの言葉を見たときは、自分の思ったことをはっきりと伝えるために、相手を受け入れるというのは、相反するように感じたのですが、読みすすめると、相手を受け入れることと、自分の意見を主張することは別のことで相手を尊重することが大事なのだと思ったからです。


その小説の内容はある無名の人の作品で「沼地」と題する絵を巡り、主人公の「私」と美術記者の様子を描写したもので、この絵に魅せられている「私」の前に、新聞の美術記者が現れ、つまらないものに感心すると言って「私」を見下すの場面があります。

「私」はこの画は傑作だと主張します。すると新聞記者は「私」の見る目のなさをあざけるように大声で笑いました。

それでも「私」はその部屋の片隅に置かれた誰も足をとめることのないようなひっそりとした絵の中に情熱と作者の生き様を感じ取り、「傑作です」と、「私」は記者の顔をまともに見つめながら、昂然として繰り返したのです。”


鈴木氏はこの短編を読んだ感想について次のように書かれています。


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この短編は、文壇の中で、立場を異にするゆえに、理解しようとしない人々に対しての、芥川龍之介の「我が道をゆく」という宣言とも読むことができます。

しかし、そうした背景を抜きにして、この作品にじかにぶつかる時、この『沼地』の中に象徴されていることが、私たちの毎日の生活とも密に繋がっているのを感じるのです。

私たちは、画や本や風景や人や、その他あらゆる芸術作品に、毎日対面しています。

例えば、一冊の本を取り上げる時も、多くの場面、人から題名とか内容について聞き、先に、ある程度の興味を持っています。

よいとか悪いとかの判断を往々にして、他の人の権威ある意見に頼りがちです。

自分が感じ取るものだけを頼りにすることは、不安なのです。

ましてや情報の溢れている現在では、いろいろなことにまず予備知識を持ち、それに照応しながら、価値の判断を下そうとします。

社会生活をしていく上で、これはもちろん必要なことです。

しかし、何か物事にぶつかった時、私たちは頭や心を空っぽにして、そのもののこちらへ語り掛けてくる無言の言葉に耳を傾けることが大切ではないでしょうか。

そして、相手のものから受ける感じを心で味わってみる必要がないでしょうか。

他人や、偉い人が何といってもいいでしょう。私に相手の人なり物は、こう語り掛けている。

そして私はそれをこう理解するのだという自信が尊いのだと思います。

「心の瑞々しさ」はそうした無心の状態からものごとの中へ飛び込んでみることによって、保ち育てられるのではないでしょうか。

「そのものが語り掛ける無言の言葉に耳を傾ける」ことが大事です。

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これを読んで、私は普段、職場でお客様や同僚、部下に真摯に向き合い、周りや相手にどう思き合っていくか、私はこの目的に向かってこのような考えを持っていますということを最優先にして伝えていかないといけないのに、相手がどう思うかとか、自分を守る事、逃げることをしてしまっていて、飲み込んでしまった言葉があると思いました。

それは人だけでなくものごと全て同じでつながっているのだと思いました。

さらに文章は次のように続きます。

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『沼地』の中で「私」が、あくまで自分が感じ取ったことに忠実であり、世評がどでうであれ、自分の確信をはっきり言い切っている態度には見事なものがあります。

「私」は世評を代表する美術記者の自信溢れる意見に少しも動かされてはいません。

「私」は狂人の描いた画を深く理解し、無名の芸術家の苦悩と、人間としての叫びを感じ取っているからです。

一人の人間を許容し、大きな言葉で言えば、運命の共存を感じ取っている時、人は世間の評価には屈しません。

一人の人間の尊さが身にしみているからです。

「私」はこの世で報われることのなかった画家をありありと感じているのです。

そして、生命まで犠牲にして描いた一枚の小さな画から、彼の魂に触れているのです。

だからこそ、世間そのものである新聞記者のこの画を無視した不遜な態度に、正面から「傑作です」と記者の顔をまともに見つめて、昂然と繰り返すのです。

『沼地』を読むと、生きてゆくことは、何と勇気のいることかと考えさせられます。

他の人の立場をあるがままに受け入れることに、まず大きな勇気と寛い心が必要です。

そして多くの人のそれぞれの立場に理解を持ち、先入観なしにその立場を認めることも決して狭心の心ではできません。

ましてや世間の風当たりに逆らって自分が正しいと思うことを、独善的でなく、穏やかに述べるのは、平静な心と強い勇気が要求されます。

苦しい一生を送りながら、聖者と讃えられる人々の記録を見ると、何と多くの祈りが「勇気と寛大な心を与えてください」という叫びに満ちていることでしょうか。

世界中のどの人にとっても、いきいきと生き抜くには、真の勇気と寛い心が土台として必要なのです。


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私はこの文章を読んで日々の生活の中で、自分の思いや考えを堂々と主張できるくらい、真剣に人や物事に関わっているかと思うと、いかに多くのことを先入観や既成の価値観で決めつけてしまっているかということに気づき、一つのものの見方しかできず、判断を感情に任せて下してしまっていたと反省しました。


職場でも常に「相手の立場にたって行動しましょう」と部下に指導している私が先に書いたように、自分の感情や思い込みで言いにくい言葉を飲み込んでしまうことがあると、周りに伝わる事はないと思いました。

まず、自分の主張したいことをしっかりとした根拠をもって、相手に真剣に伝えるために普段から自分の仕事や周りの方に真剣に向き合って、勇気と平静な心を鍛えていき相手の立場に理解をもって、先入観を持たずにそれぞれの立場を受け止める謙虚さを持ちたいと思います。


弊社では常日頃から、社員が学ばせて頂ける環境を整えてくださっており、それぞれのやる気次第で職歴、年齢に関係なく人間力を向上しようと社員全員で切磋琢磨しています。

人間力を向上させるということは豊かで充実した人生を送れる、と職場でも教えていただいています。

これからも皆で明るく生き生きとした人生を送れるように努力していきます。



言葉が行動変える

日時: 2015年11月17日

今岡 憲成

言葉には魂があり、発する言葉が人の行動に大きく影響する事があります。

出来ない、出来ないかもしれない と思って言葉にした瞬間に出来る事も出来なくなってしまう事があります。
そうならない為に、言葉を発する前にプラスに変換して発するようにしなければなりません。
元テニスプレーヤーの松岡修造氏は、どんな苦境な状況であっても、常に自分を発奮させるポジティブな考え、前向きな言葉を発せられておられます。
そんな姿をみると、自分の考えの甘さや逃げているこを痛感致します。
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『本気になればすべてが変わる』より   松岡修造氏

消極的な気持ちになったときは、前向きな言葉をあえて口に出す。

やる気をそぐようなマイナス言葉は、使わないにこしたことはありません。
けれど、気持ちが消極になっていると、「こんな仕事、無理だよ」「今日は何もしたくないな~」などと、つい口からでてしまうことがあります。
マイナス言葉を使った、多くの場合は「無理だ」「だめだ」「イヤだ」と思いはじめると、それが自分のなかで絶対的な事実のようになり、本当に疲れてイヤになってしまいます。
また、吐き出したマイナス気分が周囲の人に伝染すると、めぐりめぐって負の要素が自分に返ってきて悪循環に陥ってしまうことも、けっこう多いのではないでしょうか。
マイナスの言葉が出そうになったら、心の中で「できない」の代わりに「ストップ」「無理」の代わりに「言うな!」と置き換えるようにしています。
そしてマイナスの言葉を封じ込めておき、「大丈夫!」「やれるっ!」と、とにかく思っているのと逆の前向きな言葉を、心の中で大袈裟なくらい言ってみる。すると不思議と消極的な気持がなくなっていきます。

これは効きます。ぜひ試してみてください。
それでもマイナスの言葉が出てしまったら、「できないー。だけどトライしてみようか」「疲れたー。

でも、もうひとふんばりだ」と、前向きな言葉を一つ付け足してみましょう。
これだけで、気持ちの在り方が全然違ってきます。

----中略----

日本人は相手に気遣うあまり、悪いことをしていないのに「すみません」と言う癖があります。
礼儀正しいことは日本人の長所ですが、ときとして、「すみません」は自分を弱める言葉になってしまう。

だから、礼儀以外のことは「すみません」から始めないほうがいいのです。

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この文章を読んで、確かに消極的でもないのに、思わず口癖でつい口にしてしまうマイナスの言葉が、プラスの思いがあっても正反対のマイナス方向に陥ってしまう事があります。

言葉に発するだけで、脳は言葉を発したとおりに働いてしまいます。
松岡修造氏のように、自分を鼓舞し可能性を高める為に、「俺は出来る!」と言葉にして発すればやがて、行動も変わり本当にできるようになるのです。
一日をポジティブにするには、前日の寝る前から始めなければなりません。
脳は寝る前の10分前がゴールデンタイムだと言います。
寝る前にプラスの事を考えていると寝ている間中も脳はプラスのイメージを膨らます様になります。
マイナスのイメージを考えて寝てしますと、脳はストレスに感じてしまい、起きた後も一日中否定的な考えになってしまいます。
言葉一つ、思い一つによって同じ行動をしていても、結果が大きく変わってきます。
脳は入力より出力を信じ、口にしたことを実現しようとします。

例え思いと違ってもプラスの言葉を使う事は、大きな意味があるのだと思いました。

周囲にマイナスの言葉の「無理だ」「駄目だ」「出来ない」を口癖にしている人と一緒に仕事をし続けるとどうなるでしょう。
その人と一緒に仕事をするのが嫌になり、やがて周りにいた人達は離れて行ってしまいます。
逆にプラスの言葉を発しポジティブな考えを持っている人には、人が集まりお互いが共感し合い、すごく活気の溢れる集まりが出来るでしょう。

本気なら「出来ること」「出来るようにするためには」と思考が働くのだと思います。

私も「出来る、必ず出来る」という言葉を発して自分を奮い立たせ、本気のプラスの思考で実行していきます。

どんな状況にあっても、すべての出来事に感謝して、感謝する心を大切に表現をして行く様にして行きます。


人生は「額」ひたいにあり

日時: 2015年11月03日

毎床 優子

最近、また新たな課題に取り組み、それを解決するため自分の智恵や経験だけでは不足を感じて、以前読んだ本をもう一度読んでみました。

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人生は額(ひたい)にあり

幸不幸は額の使い方次第。

額に汗して働き、額を集めて相談し、額に筋を立てて怒る。

額は、金額の額であり、金カンジョウも、心のカンジョウも「額」である。

また、書や絵も額縁によって部屋に掲げられて,額が壊れるとガクガクと落ちる。

人も額にあたる心が眠るとガクガクと倒れる。

額縁というように人の額は神との縁を直接結ぶ心のあるところである。

‟人生は心一つの置きどころ”で額の明暗によって幸、不幸となる。

五官の耳、目、鼻、舌に皮膚の感覚を直接的に感ずる第六感は「額」である。

古来、「心ここに非らざれば見ゆとも見えず、聞くとも聞こえず、食らえと言えど味もわからず」で、額の心で見、聞き、味わい、そして気配を感ずる。

‟けじめ”は ‟毛じめ”で目を軽く閉じ左右の眉毛を結ぶようにして瞑想する。その額にある意識が実在意識である。

人生という字に夜も死もなく、意識のある時だけか人生である。

死と寝ている姿は同じだが、スヤスヤ寝ている子供に悲しむ親はいない。

寝ているとは、呼吸していることであり、意識なけれど、生かされている。

昼も夜も呼吸は無意識である。無限のエネルギーの空気を悟って意識的に吸うことを、額で吸うことを悟る。

それゆえ、人生は「額」にありで、額の使い方で、幸、不幸となる。

額の心の感情のもつれが、小にしては家庭の不和となり、大にして戦争となる。


背筋を伸ばすと自然と空気が入るが、更に鼻から静かに額に息を吸い込み、胸いっぱいに吸い込む。

その時の心は、無限の宇宙のエネルギーを今いただいていると、感謝の心で吸い、五臓六腑はもちろん、手足の先端まで行き渡ったと念ずる。

額はレンズである。

太陽は全ての生命の根元であるともいう。

お天道様のお陰で、洗濯物は乾くが燃えることはない。

しかし、レンズで焦点をしぼると、たちまち燃える。

額はレンズで、体はカメラ。

レンズが曇ると、どんな高級なカメラも写らない。

額の曇りの一つは、悩みである。

悩みを分解すると「取越苦労」「消極的観念」の二つである。

小学生に微分や積分の問題を与えないように、神は、その人に必要な問題を与え給う。

されば何事も自分を磨く砥石として人生の苦楽を味わう。

悩みも病も‟闇“のことで、闇の夜は寝ることで、それでも起きたい時は、文明の明かりをつけると闇は消えるように、心に光あれば悩みも消え、病みも病みあがりで健康になる。

悩と脳という字は、同じである。

悩むのは頭であり、尻で悩むものはいない。

人の脳も光を求める故に、明るい希望の日の「明日」という字となる。

だから額のレンズの心は、常に明るく朗らかに生き生きと勇ましく積極的で肯定的な言葉と態度でいると健康的にも運命的にも開かれるようにできている道具である。

佐々木 将人氏著書(中村天風先生人生を走れ)

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読み返してみて、改めて心の整理整頓ができました。

額(ひたい)=心……。この使い方で自身の幸、不幸となる。

額=心のレンズ……。曇らないように良い空気を感謝しながら吸おう。

自分磨きをして、神様からの課題に取り組もう。必ず解ける。

ピカピカなレンズにして光を醸し出したい。

また、次のようにも書かれていました。

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空気は、神仏や祖先である。人は死ぬと腐って空気となり、骨は、大地に帰る。神仏に手を合わさなくとも、空気に生かされているように、親なる神仏や祖先である空気は子や孫が可愛いから隙間なく包み昼も夜も生かし給もう。

息とは自然の心と書く。

人生とは出会いであり、最初の出会いは空気で 呼 で生まれ、吸 で 息を引きとる。

あの人と呼吸が合う、合わないというように、人間関係も波動の呼吸である。

そして、「間」について、「間の取り方」「まのび」「まぬけ」「まがさす」

人間、仲間、…と、間の世界を世間という。

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全て、空気に導かれて今、生かさせて頂いていると思え、ただ、感謝の気持ちがわいてきます。

心の目を曇らせずにいると、悩みもすっきりとしたものに変わるのだと思いました。



誠実

日時: 2015年10月19日

遠藤

~~人は楽しいとき、ハハッと笑う(8×8=64)。
人は悲しいとき、シクシクと泣く(4×9=36)。
64+36=100。すなわち、楽しいことが64%あって、 悲しいことが36%あるのが人生なんだ。

楽しいことの方が多いんですね。
ほんの少しだけある「うまくいかない」時期が、 今来ているだけのようです。~~
ネット検索していたら、上記のような記述がありました。
目からうろこでした。

良い事悪い事、いろんな事が起きる毎日ですが、楽しい時の方が多いんだなと思いました。

上手くいかない時や、悲しい時は、感情が余計に揺れるのですごく記憶に残り、自分の中で大きな石になって落ちてきま
すが、実際、人生の36%も上手くいってないかというと、振り返ってみると案外もっと少ないと思えます。

良い事の記憶は、しっかりと自分の人生の支えになってくれているからでしょうか。
64%よりもっとあるだろうと(願望も含め)思えます。

人は一人では生きていないので、楽しい・悲しいは、ほとんど人間関係から発信される感情だと思います。

特に、人と接するお仕事をさせて頂いている上で、いろんな方にお会いし、様々な経験をさせて頂いています。

いろんなタイプの方がいらっしゃるので、要は自分の感情に振り回されないことが大事なんだと思います。

振り回しているのは相手ではなく、自分の感情なんだという事に気づけば、心持一つで状況はいくらでも変動させれるので
しっかりと『自分』を持っていきたいと思いました。

上西聰氏の『9つの習慣』という本の中に下記の様な記述がありました。
~欲にかられた人は、平気で他人を傷つけます。
こうした不誠実な人に心を乱されても自分は誠実に生きていく事が肝心です。~

『名誉や利益の為だけに生きる人には(誠実さ)というものがない』
江戸時代初期の禅僧である鈴木正三の言葉です。
「名誉を得たい」という欲に心をとらわれると、人は平気で嘘をつくようになります。
「利益を得たい」という欲にかられてしまった人も同じです。
自分の名誉や利益を得る為には、他人をおとしいれたり、だましたり汚い手を使ってでも、たとえ人が傷つくことになっても平気です。

このような心の状態を、鈴木正三は『誠実さが無い』と述べているのです。
競争社会に生きていれば、名誉や利益を得ることは、ひとつの目標にはなりますが、同時に『誠実に』生きることを忘れてはいけません。

こうした欲望にとらわれた人に心が乱されることがあっても、”自分が正直に生きてさえいれば”心の平穏は取り戻せます。

『不誠実な人の言動よりも、自分の誠実さが大事』
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名誉や欲だけではなく、いろんなしがらみが人間にはあります。

自分は誠実だ。と思っていても、自己満足の誠実さでは相手を無意識に傷つけていることもあります。

ただ誠実に生きるだけでなく、相手を思いやれる人でありたいし、そこに誠実であれば、無意識に人を傷つける事も無く、逆に
意識して相手方に思いやりをもった言動が出来る。
何に恥じる事もなく生きて行けるのではないかと思います。

その為にも自分の感情といつも向き合い、指針をもっていないと少しの刺激にも反応してしまうようになってしまいます。
結局は自分の感情が自分を振り回しているだけなのですが・・・

いろんな経験が自分の人生のプラスになる!と、頭の中をいつもプラス思考に保ち、起きる事全てを受け止めていける器になりたい、例え無意識でも自分の一時の感情で、自分自身も相手も振り回してはいけないと思いました。

そこには、やはり『誠実』に生きるという事が原点にあるのだと思います。

人に発信する言葉や、振る舞いは常に、誠実に思いやりのあるものでありたいと思います。

たくさんの方に出会えて、いろんな感情が生まれる事に感謝しその中で、自己満足ではない誠実さを育み、発信していきたい
と思います。