有限会社 エステート・リード

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正当化

日時: 2015年11月27日

遠藤 乃倫子

仕事を通じて今までたくさんの事を学ばせて頂いてきました。

『事実』をしっかりと受け止め、状況を素早く判断することの大切さを最近よく感じます。

『事実』は1つです。が、本人の解釈により1つの事実が2つに分かれてしまう場合もあります。

ただ、当人にとっては、それが事実。
それが自身にとっての事実であっても、もし他の人が違う事実を示されたら、まずはその状況を冷静に見極めていく必要が社会人として必要ではないかと思います。

まずは、主観ではなく今ある状況を受け止める、素直に受け入れる事も学ばせて頂いたうちの1つです。

昔は、自分が正しいと思ってるのに違う事実が来た時、なんで?
と全く受け入れる脳ではなかったのですが、いろんな経験を積ませて頂いて、勉強していく中で、個人の主観で自己を正当化し、事実をその主観でしか見れないのは、自分にとってもすごく損な事で、もっと視野を大きくし、柔軟に物事を見ていく必要があると思いました。

心理分析をされてる方が10年ほど前に書かれたブログに下記の『正当化』に関するものがあります。

改めて勉強になりました。

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【正当化】は、  自分の責任を認める、 × 行為の被害を認めない

と、いう方程式です。「確かに私がやりましたけど、それがどうかしましたか?」
「そのくらいのことで、いちいちうるさく言われたくありません」
「どうしてこれが問題なのかわからない」
「私がそうしたのは、周囲のせいです」

などが、【正当化】のいいわけです。
【正当化】は、知識がついてきた頃の子供が使いはじめるいいわけです。もちろん、大人でも使う人はたくさんいます。

【正当化】する人の心理は、主に2つに分かれます。

知らん顔、不可抗力であれば許されるはず系
私の責任は他人のせい系(いわゆる責任転嫁) の2つです。

【正当化】する側の心理は、 「私は素直、物事は重要ではない。だから早く終わらせよう」

【正当化】された側の心理は、 「問題は、問題なんだよ。ちゃんと考えてよ」です。
【正当化】する側の力が強い場合、 「小さなことでいつまでもくどくど言ってんじゃないよ」が、通る傾向にあります。

逆に言うと、力関係の強度が明らかであれば、都合の悪いことから逃れるために【正当化】を使う
可能性があります。

■知らん顔、不可抗力であれば許されるはず系

行為の被害を認めないことに力を入れるタイプが、この系統です。

「まあまあ、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」 「どうしてそれを問題にするのかわからない」などと言う口癖の人はこの系統の人です。

攻撃的な人は、 「どうしてそれが問題なのか説明してみろよ」
「いつまでもくどくど言わないでよ」という発現で問題となっている論点以外のことをぼやかしたり、問題のすり替えを行ったりします。

【正当化】は度が過ぎると、攻撃性に結びつきやすいいいわけです。

■私の責任は他人のせい系(いわゆる責任転嫁)
自分の責任を認めながら、その責任に対して【弁解】するのがこの系統です。
「でも、その状況でああする以外にどうできた?」
「飲みに行くのも仕事なんだよ。部長の誘いを断れるか?」

などの発言は自分の責任に特化した【弁解】です。
【正当化】と【弁解】を組み合わせた、
なかなか上級者ないいわけです。

攻撃的には使えませんが、積極的に使うとこうなります。一応自分の責任は認めるものの、その責任は「しょうがない」「自分のせいじゃない」などと決めつける方法です。

【正当化】が続くと、それをされる人はうんざりして話す気がなくなってしまいます。

個人的にこういう体験をしました。

業者との窓口担当者の態度が悪い、というクレームが私のところに来ました。
確認してみると本当に悪い。
時間を取って正面を向いて、しかし話し方はソフトに、内容と解決方法は具体的に指摘しました。
そのとき担当者はこう言いました。
「私の言い方も確かに悪かったですけど、その人 私に直接言わないのってどうなんですか?」

この発言には、「でも、仕事はちゃんと進んでいる」というニュアンスも含まれていました。
行為の被害はそれとなく否定していたわけです。

そして、自分の責任は認めたものの、相手の態度を否定することで問題をすりかえているのがわかります。

【正当化】は、自分への不当(だと思っている)追求を避け、その不当(だと思っている)原因のせいで自分が嫌な気分になっているという図式がよく見られます。

【正当化】のいいわけをする人は、心があまり強くない人です。

自分の責任を否定するほどの度胸はないが、だからといって悪者にはなりたくないという心理を持っている人です。

マイペースな人が多い反面、実際には人のせいにするという人が多いのが特徴です。

自分が責任を認めている素直さを解決策を示すことで信頼に変えたり、行為の被害がいかになかったということをもっともらしく話します。

多くの場合、このような説明は一度納得してもあとで家に帰って考えてみると「やっぱりおかしい」
という形で思い起こされることがあります。

こういったところに注意して観察してみると、【正当化】を使っている人が明らかになるでしょう。

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さて、自分はどうでしょう。
人の事はよく見ているのに、案外自分の事が全く見えてない事があります。

上記を読んでいると、『正当化』ってなんて恰好悪いんだろうと思います。
無意識に発している発言が、この正当化に当てはまっているとしたら、穴があったら入りたい程、恥ずかしい事だと思います。

無意識に発する言動は、自身の深層心理です。
本来の性質が無意識に出てしまいます。

自分を大本から見直し、もし今『正当化』してしまっているなら、改めていく必要があります。

【正当化】のいいわけをする人は、心があまり強くない人です。とありました
が、じゃあ心が強い、弱いってどういう事かを考えてみると、心が強い人は自分を客観的に見れて、事実を柔軟に受け止め、自分の間違いがあった時は素直に認め改める事の出来る人ではないかと思います。

私は心が弱いから・・・という言葉を発するのは、自分の不出来を正当化しているだけになります。
”弱い”という事で、自分を防御しています。

心理学用語で『セルフ・ハンディキャッピング』という言葉があります。

※意味:たとえ失敗しても自尊心を保てるように、あらかじめ自分にはハンディキャップがあると主張したり、実際にハンディキャップを作り出してしまうことをいう。
試験の前に、風邪で勉強が十分にできなかったと言い訳をして予防線を張ることなどがこれにあたる。

正当化したり、防御線をはったところで何も自分に良い事はありません。

本当の自分の守り方というのは、昨日よりも、1ヶ月前よりも、1年前よりも出来る事を増やし、考える知恵をつけ、素直に柔軟に物事を理解してて行く力をつけていく事ではないのかと思います。

自分の守り方が分かっていれば、人も守れます。
また、攻め方も分かっていきます。

攻めるといっても、人を責めるのではありません。
攻めるというには、自分の人生に挑むという事です。

これからもいろんな分野に目を向け、何が出来るのか!何をしたいのか!何が出来たのか!
を、ワクワクしながら経験を積ませて頂き、自分の人生に挑むことを楽しんで参ります。



人生を変える言葉

日時: 2015年11月24日

先日、毎月恒例の社内勉強会が行われ、担当として司会進行をさせていただきました。
社員全員の協力のもと、緊張しながらも充実した時間を過ごさせていただきました。

勉強会の担当は毎回、交代で行い、「今月はどんな内容にしようか」と同じ部署のメンバーと話し合う時間も楽しいものです。

違う部署の社員と、毎回違うテーマについて話し合ったり、月刊誌「理念と経営」から出題されるテーマに沿って様々な意見を聞くことも出来る貴重な時間です。

今月は新しく入社されて間もない、二人の仲間を迎えての勉強会でしたので私も入社した頃を思い出し、とても新鮮な気持ちで進めさせていただきました。

新しい方を中心に全員の自己紹介の後、「理念と経営」の記事の中から、それぞれの意見、感想を述べました。

今月の「理念と経営」の設問に使わせていただいた記事は「たった一つの言葉にも、人生を変える力があります」というテーマでアスリートと作家・文人の方々の”豊かな言葉”が多数紹介されていました。

その記事を読んで全員が心に残った言葉について感想など自由に発表しました。

私も今まで本を読んだり、心に響く言葉や文章に出会うと手帳にメモをして、時折読み返す事を習慣にしていました。

今思い返すと、その時に必要な事や心の底で望んでいることが、潜在意識にあって無意識に、関連した記事や文章を追っていたり、言葉を選んでいたように思います。

助けられたり背中を押してくれるような言葉や本を無意識に選んでいたのかもしれないなと思いました。

記事の中に沢山の素晴らしい言葉が掲載されており、私が特に心に残った言葉は、清宮克幸氏の言葉でした。

克幸氏はヤマハ発動機ジュビロの監督で、第52回日本ラグビーフットボール選手権大会でチームを初優勝に導かれました。
長男、幸太郎選手は高校野球選手権大会を大いに盛り上げ、次男、福太郎選手の属するリトルリーグチームが世界一に輝くなど2015年は父子そろって脚光を浴びられたアスリートファミリーの父としてメディアに注目されておられます。

克幸氏が子育てでも、チームの人材育成でも持論とされているのが「言葉が大事」で、重視するのは「目標を達成するためにクリアしなければならない課題は何かを、きちんと見極めること」だと仰っています。

さらに、人から言われるままに努力するのではなく、自分で課題を考えてそれを言葉にする。
「語ると失敗を繰り返さずに成功を続けられる」と克幸氏は「日刊ゲンダイ」(2015年5月16日付)のインタビューでも言われています。

私も、この記事を読んで思いを言葉に出す事で責任が生まれ、実行するために精一杯努力するようになると思いました。
言葉には責任がついてくるので慎重に扱い、信用につながるという事を自覚しないといけないと思います。

職場でも沢山のことを教えていただいていますが、その中の一つに「言葉を大切に扱うこと」があります。

「言葉」はその人の思いを伝えるでけでなく人間性や品格を表すとも言います。

「思い」がないと言葉に表れないですし、「思い」はこうなりたい、こうありたいと思い描き、実現するために努力し続けないと生まれてこないと思います。
清宮克幸氏が述べられたように自分への課題を考えて、真剣に「思い」、ビジョンを言葉にして覚悟を持って自分自身にも周りにも公言していき実現するために努力をしていきたいと思います。

いろんな分野で優れた言葉を残されている方は、地道に努力を惜しまず普通の人の何倍も何十倍も努力をされた方だと思います。

私はこれからも、そのような方々の残された、人生を変えるような素晴らしい言葉に沢山出会いたいと思いますし私自身も良い言葉を選び、相手に伝えたい事を正確に伝えるように言葉を大切に扱っていき、なりたい自分になるための努力をしていき豊かな人生にしていきます。


言葉が行動変える

日時: 2015年11月17日

今岡 憲成

言葉には魂があり、発する言葉が人の行動に大きく影響する事があります。

出来ない、出来ないかもしれない と思って言葉にした瞬間に出来る事も出来なくなってしまう事があります。
そうならない為に、言葉を発する前にプラスに変換して発するようにしなければなりません。
元テニスプレーヤーの松岡修造氏は、どんな苦境な状況であっても、常に自分を発奮させるポジティブな考え、前向きな言葉を発せられておられます。
そんな姿をみると、自分の考えの甘さや逃げているこを痛感致します。
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『本気になればすべてが変わる』より   松岡修造氏

消極的な気持ちになったときは、前向きな言葉をあえて口に出す。

やる気をそぐようなマイナス言葉は、使わないにこしたことはありません。
けれど、気持ちが消極になっていると、「こんな仕事、無理だよ」「今日は何もしたくないな~」などと、つい口からでてしまうことがあります。
マイナス言葉を使った、多くの場合は「無理だ」「だめだ」「イヤだ」と思いはじめると、それが自分のなかで絶対的な事実のようになり、本当に疲れてイヤになってしまいます。
また、吐き出したマイナス気分が周囲の人に伝染すると、めぐりめぐって負の要素が自分に返ってきて悪循環に陥ってしまうことも、けっこう多いのではないでしょうか。
マイナスの言葉が出そうになったら、心の中で「できない」の代わりに「ストップ」「無理」の代わりに「言うな!」と置き換えるようにしています。
そしてマイナスの言葉を封じ込めておき、「大丈夫!」「やれるっ!」と、とにかく思っているのと逆の前向きな言葉を、心の中で大袈裟なくらい言ってみる。すると不思議と消極的な気持がなくなっていきます。

これは効きます。ぜひ試してみてください。
それでもマイナスの言葉が出てしまったら、「できないー。だけどトライしてみようか」「疲れたー。

でも、もうひとふんばりだ」と、前向きな言葉を一つ付け足してみましょう。
これだけで、気持ちの在り方が全然違ってきます。

----中略----

日本人は相手に気遣うあまり、悪いことをしていないのに「すみません」と言う癖があります。
礼儀正しいことは日本人の長所ですが、ときとして、「すみません」は自分を弱める言葉になってしまう。

だから、礼儀以外のことは「すみません」から始めないほうがいいのです。

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この文章を読んで、確かに消極的でもないのに、思わず口癖でつい口にしてしまうマイナスの言葉が、プラスの思いがあっても正反対のマイナス方向に陥ってしまう事があります。

言葉に発するだけで、脳は言葉を発したとおりに働いてしまいます。
松岡修造氏のように、自分を鼓舞し可能性を高める為に、「俺は出来る!」と言葉にして発すればやがて、行動も変わり本当にできるようになるのです。
一日をポジティブにするには、前日の寝る前から始めなければなりません。
脳は寝る前の10分前がゴールデンタイムだと言います。
寝る前にプラスの事を考えていると寝ている間中も脳はプラスのイメージを膨らます様になります。
マイナスのイメージを考えて寝てしますと、脳はストレスに感じてしまい、起きた後も一日中否定的な考えになってしまいます。
言葉一つ、思い一つによって同じ行動をしていても、結果が大きく変わってきます。
脳は入力より出力を信じ、口にしたことを実現しようとします。

例え思いと違ってもプラスの言葉を使う事は、大きな意味があるのだと思いました。

周囲にマイナスの言葉の「無理だ」「駄目だ」「出来ない」を口癖にしている人と一緒に仕事をし続けるとどうなるでしょう。
その人と一緒に仕事をするのが嫌になり、やがて周りにいた人達は離れて行ってしまいます。
逆にプラスの言葉を発しポジティブな考えを持っている人には、人が集まりお互いが共感し合い、すごく活気の溢れる集まりが出来るでしょう。

本気なら「出来ること」「出来るようにするためには」と思考が働くのだと思います。

私も「出来る、必ず出来る」という言葉を発して自分を奮い立たせ、本気のプラスの思考で実行していきます。

どんな状況にあっても、すべての出来事に感謝して、感謝する心を大切に表現をして行く様にして行きます。


学という事

日時: 2015年11月07日

遠藤 乃倫子

先月より本社、支店にそれぞれ新入社員の方が入社され毎日新しい発見の毎日です。

新しい方が入社される度、たくさんの学びが生まれます。

教える側の立場となった時、どのように伝えていくか、どのように接するか、どうしたら、どうしたら・・・と考える毎日です。

人はそれぞれ特性を持っています。
その人に一番最適な方法で指導させて頂くには、まず教える側、教わる側の立場を明確にし、適時に的確な方法で伝達していく事、また、両社ともが、前向きに学ぼうという姿勢が大事なのだと思いました。

自分が入社した当時の事を思い出します。
右も左も分からず、不動産という業種の事も全く分からずただ、教えて頂いた事をきちんとやろう、何か見つけて教えて頂こうと必死だったように思います。

『未知』という怖さもありましたが、覚えていける事の楽しさに変え、一つずつ出来る事を増やしていくことの積み重ねでした。
たくさん失敗もし、ご指導も頂き、考えるという事を習慣づけ、学んだ経験から知恵を出していくことが楽しくなってきたというのが基礎になっているのだと思います。

まだまだ、教えて頂く事も多く、自分から学んでいかなければいけない事も多く、課題は尽きませんが、新人さんと同じくこれからも自ら進んで多くのものを吸収していきたいと思います。

以前に、経営教育論のコラムを定期購読していて、気になった文章は保存していました。
その中に学校の勉強と社会の勉強の違いについてかかれたものがありました。

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学校の勉強と会社の教育研修の違い

学校は学ぶところ。自分で好きなものを学ぶことができます。成果は期待されません。
達成度は自分で計るだけ。すべて自己責任です。

ところが社会に出ると学ぶだけではダメです。必ず成果を期待されます。
明日から即成果を挙げて下さいとは言われませんが、長い目で見て成果を期待されます。

だから研修を受ける時にも心構えが必要です。学んだり習得することが目的ではなく、
成果を挙げて会社に還元することが目的です。

昔よく言われました。「学ぶのだったら、家で勉強して来なさい。会社は成果を出すところです。
先輩や上司に教えていただくことは真剣に聞いて、いつか成果を出して下さい。」と言われたことが頭に残っています。

学校と同じように勉強されては困ります。

新卒でなくてもそのような雰囲気が残っている会社がたまにあります。

本当の勉強会になっているのです。

会社での教育研修は、成果がある程度見えているものに対して投資します。

やってもやらなくても成果が同じだったらやらない方が良いでしょう。
時間と経費がかかるだけです。

研修会をスタートする前にその辺りの説明も必要なのでしょう。

嫌々参加しているというのが顔に現れている人もいます。

就業時間中に研修会を開催することがどれだけのコストになるのか、そのことも理解して欲しいです。
また、家で勉強できることや本・資料などで習得できることは極力、自分で努力して身に付けて欲しいです。

何でもかんでも会社がやってくれると思われても困ります。

伸びる人は、自分から上長や先輩のところへ質問に行きます。

自分が足らない部分をどんどん補って行かれます。

つまり学校の勉強は受け身ですが、会社に入ると学ぶということは自分から積極的に欠けている部分を補って行くことだと思います。

だから形式は、勉強会や研修会などにとらわれず、自由に習得が可能です。

そうすると、本人の意識が一番大事になってきます。

学校の勉強のようになっている企業がまだまだあるようです。

何かを与えるのではなく、自主的に習得して行こうという姿勢を持たせることが大切です。

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弊社も月に1回、社内勉強会を開催して頂いています。
上記に『就業時間中に研修会を開催することがどれだけのコストになるのか』
という言葉がありましたが、その就業中の時間やコストをかけてでも、社内全員で学ばせて頂く環境があるのは、大変感謝すべきことだと思いました。

勉強会は、毎回テーマは違います。
その時その時の学びがあり、勉強したことを業務にどんどん生かしていけるよう勉強会(研修)が終わったら終わりではなく、貪欲に積極的に自分から学び、自分の中に取り組んでいく姿勢が大事です。

新入社員の方は、まだ入社して間がないので、業務の内容や新しい仕事に時にはとまどい不安になることもあると思います。でも、それは既存の社員も同じです。
常に進化していかなければいけない緊張感の中で毎日を過ごしていく中で、声には出せませんが不安になることもあります。

でも、それでは仕事になりません。
何の為に仕事をしているのかを常に忘れず、仕事の重みを感じているからこそ、よし!頑張ろう。
と不安を上回る使命感や責任感で努めさせて頂いています。

新人だから、既存だからは関係なく、仕事というものに真摯に向き合い、その中から楽しみを自ら見出してていくと仕事がついてきてくれます。

まず、自分の出来ていないところ、苦手なところ、足りないところを明確にし、補っていくというか、欠けている部分を埋めていくから始めて、埋まりだしたら、自分という器を広げていく、器が広がるとまた隙間が出るので、また埋める・・・の繰り返しが自分を育てることだと思います。

仕事は、いつでも本番です。
時間は、自分で作り出していかなければ、勝手に増えたりしません。
学ぶ気があれば、どこでも学べます。
本を読み、人から学び、仕事から学び・・・それを見つけていき、積極的に自分から勉強しよう、学ぼう、成長しようという気持ちをもってこれからも自分の人生を創っていきたいと思います。

もう学生ではないので与えてもらって当たり前ではなく、社会人なので自ら手を伸ばして、自らの手でいろんなものを掴んで、今後も自分育てをしていきます。


人生は「額」ひたいにあり

日時: 2015年11月03日

毎床 優子

最近、また新たな課題に取り組み、それを解決するため自分の智恵や経験だけでは不足を感じて、以前読んだ本をもう一度読んでみました。

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人生は額(ひたい)にあり

幸不幸は額の使い方次第。

額に汗して働き、額を集めて相談し、額に筋を立てて怒る。

額は、金額の額であり、金カンジョウも、心のカンジョウも「額」である。

また、書や絵も額縁によって部屋に掲げられて,額が壊れるとガクガクと落ちる。

人も額にあたる心が眠るとガクガクと倒れる。

額縁というように人の額は神との縁を直接結ぶ心のあるところである。

‟人生は心一つの置きどころ”で額の明暗によって幸、不幸となる。

五官の耳、目、鼻、舌に皮膚の感覚を直接的に感ずる第六感は「額」である。

古来、「心ここに非らざれば見ゆとも見えず、聞くとも聞こえず、食らえと言えど味もわからず」で、額の心で見、聞き、味わい、そして気配を感ずる。

‟けじめ”は ‟毛じめ”で目を軽く閉じ左右の眉毛を結ぶようにして瞑想する。その額にある意識が実在意識である。

人生という字に夜も死もなく、意識のある時だけか人生である。

死と寝ている姿は同じだが、スヤスヤ寝ている子供に悲しむ親はいない。

寝ているとは、呼吸していることであり、意識なけれど、生かされている。

昼も夜も呼吸は無意識である。無限のエネルギーの空気を悟って意識的に吸うことを、額で吸うことを悟る。

それゆえ、人生は「額」にありで、額の使い方で、幸、不幸となる。

額の心の感情のもつれが、小にしては家庭の不和となり、大にして戦争となる。


背筋を伸ばすと自然と空気が入るが、更に鼻から静かに額に息を吸い込み、胸いっぱいに吸い込む。

その時の心は、無限の宇宙のエネルギーを今いただいていると、感謝の心で吸い、五臓六腑はもちろん、手足の先端まで行き渡ったと念ずる。

額はレンズである。

太陽は全ての生命の根元であるともいう。

お天道様のお陰で、洗濯物は乾くが燃えることはない。

しかし、レンズで焦点をしぼると、たちまち燃える。

額はレンズで、体はカメラ。

レンズが曇ると、どんな高級なカメラも写らない。

額の曇りの一つは、悩みである。

悩みを分解すると「取越苦労」「消極的観念」の二つである。

小学生に微分や積分の問題を与えないように、神は、その人に必要な問題を与え給う。

されば何事も自分を磨く砥石として人生の苦楽を味わう。

悩みも病も‟闇“のことで、闇の夜は寝ることで、それでも起きたい時は、文明の明かりをつけると闇は消えるように、心に光あれば悩みも消え、病みも病みあがりで健康になる。

悩と脳という字は、同じである。

悩むのは頭であり、尻で悩むものはいない。

人の脳も光を求める故に、明るい希望の日の「明日」という字となる。

だから額のレンズの心は、常に明るく朗らかに生き生きと勇ましく積極的で肯定的な言葉と態度でいると健康的にも運命的にも開かれるようにできている道具である。

佐々木 将人氏著書(中村天風先生人生を走れ)

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読み返してみて、改めて心の整理整頓ができました。

額(ひたい)=心……。この使い方で自身の幸、不幸となる。

額=心のレンズ……。曇らないように良い空気を感謝しながら吸おう。

自分磨きをして、神様からの課題に取り組もう。必ず解ける。

ピカピカなレンズにして光を醸し出したい。

また、次のようにも書かれていました。

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空気は、神仏や祖先である。人は死ぬと腐って空気となり、骨は、大地に帰る。神仏に手を合わさなくとも、空気に生かされているように、親なる神仏や祖先である空気は子や孫が可愛いから隙間なく包み昼も夜も生かし給もう。

息とは自然の心と書く。

人生とは出会いであり、最初の出会いは空気で 呼 で生まれ、吸 で 息を引きとる。

あの人と呼吸が合う、合わないというように、人間関係も波動の呼吸である。

そして、「間」について、「間の取り方」「まのび」「まぬけ」「まがさす」

人間、仲間、…と、間の世界を世間という。

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全て、空気に導かれて今、生かさせて頂いていると思え、ただ、感謝の気持ちがわいてきます。

心の目を曇らせずにいると、悩みもすっきりとしたものに変わるのだと思いました。