有限会社 エステート・リード

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美しい姿勢

日時: 2015年09月24日

平 美穂

私は仕事柄、お客様によく「美しい姿勢をしましょう」とお伝えしています。

美しい姿勢とは、背筋を伸ばし、顎を引き、両肩を後ろに引きます。
すると、胸が広がり呼吸が深くなり血液中の酸素が血管を通って身体の隅々にまで行き渡ります。

身体中を巡る血液がきれいになると自然と肌の色も健康的になり、皮膚の構造上、くすみのない美しい肌になります。

また、ホルモンバランスも姿勢で変わるといわれていて社会心理学者エイミー・カディが面白い調査をしています。

それは、やる気や自信をつけさせるといわれる「テストステロン」という脳内ホルモンの分泌量の調査です。

2分間、いわゆる良い姿勢をするとテストステロンが20%増し2分間、猫背、顎が前に出てしまうなどの姿勢をするとテストステロンが10%減少するというのです。

これらは、人はどのようなボディランゲージをするかで脳内ホルモンの分泌も変化するという調査報告でありこのデータを見ても人の姿勢が具体的にホルモンに影響し、ひいては発想や身体、臓器の活動にも影響を与えることが解ります。

このように姿勢を正すとどんないいことが起きるかということが医学的にも証明されていますが、私達日本人は昔から「躾」のひとつで「正しい姿勢をしましょう」ということも教えられてきました。

私も食事のときなどはとくに厳しく、物心がつく頃には家族全員で姿勢を正し、正座をして食事をする。
私語を慎み、箸の持ち方、茶碗の扱いにいたるまで両親から厳しい躾を受けてきました。

小さい頃は窮屈な思いもしましたが、今となってはそれなりに箸を正しく持てることや簡単な作法を知っていることに感謝しています。

「躾」とは身を美しくと書きます。
身体だけではなく人の心は、どんな人も、まず姿勢に現れると思います。
心が乱れているときは、姿勢が乱れ、心が安定しているときは姿勢も安定します。

『姿勢を正す』という言葉を調べてみると

「体の構え方や心構えなどを改めてきちんと整えること。多くの場合、改まった態度で物事に面することなどを意味する。
座っている姿勢については『居住まいを正す』などとも言う。 」

とありました。

姿勢を正すことは背筋を伸ばす、顎を引くといった身体を意識することだけではなく「心を正していく」という事にも繋がるのだと思います。

私達は朝起きてから生活のすべてにおいてどのような心構えで生きていくかで一日が変わり、その一日一日積み重なって人生が変わっていくのだと思います。

起こること全てにおいて謙虚に受け止めて前向きに取り組もうとすると自然に背筋が伸び、学ばせて頂いている環境にあるという感謝の気持ちがわいてきます。

仕事も周りの方とのコミュニケーションのとり方もすべて受け止める心を正し、何が起きても真摯に受け止めることをひとつひとつ丁寧に積み重ねていき自分の価値をあげていきたいと思います。

また、美しい姿勢からは美しく響く言葉や表情、声、などがうまれ、理想の姿勢を維持することで自分の体と心に意識付ける事が出来ると思います。

私も日頃から声のトーンや言葉を選ぶ事に注意していますが、無意識にそのような穏やかな発信が出来るようになると周りへ与える影響も穏やかで明るくなると思います。

心がけに意識を向け、心がけを大切にしていく努力を怠らずに、背筋を伸ばし、穏やかに凛とした姿勢で、そこにいるだけで明るく周囲を照らすような存在を目指して常に正しい姿勢を心がけ、同時に心も正していくことを意識して心身共に健康でありたいと思います。


また、お一人でも多くの方に、肌の改善だけではなく、心身ともに健康でいていただくために「美しい姿勢」「美しい心構え」をお伝えし続けていき、自分自身も実践していきたいと思います。


自分を信じる

日時: 2015年09月11日

今岡


最近メディアでよくみかける、人生相談などで活躍されておられる、心屋仁之助さんは鋭い洞察力で人の心の奥底にあるものを見事に言い当て、相談者に的確なアドバイスをされます。
今まで思っていなかった事をずばり的確に回答される、その場面を見ていると、なるほどそうだったのか!そう考えるんだな~と思いました。そして、自分にも当てはまることが多くある事に、気づく事も出来ました。

悩んで相談される本人は今まで考えていなかった事に気づかされる事で、何かを吹っ切れた表情は見ていても伝わってきました。
相談者は思いもよらない言葉で、隠し続けた心の奥底をさらけ出す事が出来、自分を見つめ直せる場面がたくさんありました。
私も心屋さんのメッセージによって自分にも自信が持てない、嫌な自分がある事に気づき本当は自分で気づいていても、認めたくない気持ちが心の奥底であり、自分で自分を封印してしまっている事に気づかされる事がありました。
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『折れない自信をつくるシンプルな習慣』        心屋 仁之助 著

『自信がない人は、「自身」がない』

「自信がない人」って、世の中にはたくさんいます。
「仕事をしていても、いつもどこかで自信がもてない」
「何をやっても、どこの職場でも、うまくいかない気がする」
「間違いを指摘されないかとビクビクする」
「がむしゃらにがんばって一番の売上を達成して、一時は自信がついても今度はいつ落ちるのかを考えると不安でしかたがない」
「実績を上げても、目標を達成しても『これでいいのか』とあせる自分がいる」
このように「自信がない人」の性格や状況を抱えている思いは人それぞれです。

でもね、僕が相談に乗ってきた方の「自信がない」という話をよく聞いてみると、「自分には価値がない」と思っている-たいていが、こういうことなんです。

自分の「価値」が「ない」って思っているのです。
では、その「価値」を決めるのは誰でしょう。
僕はサラリーマン時代、自分の価値を決めるのは、他人だと思っていました。
「他人」が評価してくれたり、ほめてくれりしたら、自分には価値があると思っていました。

だからこそ僕は期待に応えようと、ほめられるように頑張ってきました。

でも期待に応えられるこのもあれば、頑張っても応えられない時もありました。
期待に応えられない、ほめられないと、「まだ、頑張りが足りない」「もっと頑張らない」と、更に頑張ろうとしていました。
でも、僕の価値を決めるのは「他人」なのだろうか、本当に自分には自分には価値がないのだろうか、と。すると気づいたんです。

自分の価値を決めるのは、「他人」だと思って頑張ってきたけれど、でも、自分が一番、自分を評価していなかったことに。
自分で自分を「価値がある」と思っていないのに、「素晴らしい」と思っていないのに、他人にたいして「価値があると思ってよ」「素晴らしいと思ってよ」と求めていたんだということに。
「他人」の評価という視点があっても、「自分」という視点がありません。
自分の評価を、すべて「他人」基準に委ねてしまっている。
つまり「自分がない」のです。

僕はこの状態のことを、「『自身がない』から『自信がない』」と表現します。
僕は、自信って「自分を信じること」だと思っています。
自分で「自分には価値がある」信じること。自分で「自分は素晴らしい」と知ること。
これが僕のいう「自信」です。
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私は、よくミスや過ちを犯してしまったときに、迷ってしまい何も出来ていない自分が恥ずかしくなり、また、こんな自分が嫌になり、自分を拒否してしまい、すべての自信を失ってしまう事があります。
そんな自分を見て周りの方へよけいな心配を掛けたり、周りに方に気を遣わせている事にその時には気づかず冷静になった時に初めて気づく事があり、自分の精神の弱さを露呈してしまっています。

いつも会社の皆様は、そんな私に、優しく助けて頂く場面が多々あり、また、私の落ち込んだ気持を引き上げて下さり、皆様に大変ご苦労を掛けてしまっています。
そんな私の為に教えてくだっさた皆様に感謝の気持で一杯です。

心屋氏の言葉にあった「自信がない人」は今の自分にぴったりでした。
自分の価値を自分で落としている事にさえ気づかずにいる事は、全ては自分に自信がない所に始まり、不安がいつまでも拭いきれない、そんな自分には価値がないと思ってしまっているところがありました。
そして、私の悪い所である、他人からのどう見られているのかばかりを気にしていました。

大切なのは、嫌われる勇気、恥をかく覚悟、自分らしく自分を信じる気持ちどんな出来事があっても感謝を持ち、相手への敬意を払うようにしなければいつまで経っても自分が変わる事が出来ないと事を、心屋氏の本を読んで感じました。

そして、心の持ち方を大切にしなければならないと思いました。

自分自身を信じるのは、自分しかないので、自分の気持を上げていき、価値ある人にならなければなりません。
そして、いつも見守って下さっている、たくさんの方々に感謝し、一回り大きく成長した心の強い人になり、皆様から喜んでいただける人物になることで、恩返しをしていきたいと思います。


日時: 2015年09月10日

遠藤

仕事上、たくさんのお客様にお会いする機会を頂いています。
お客様も十人十色というように様々なお客様がいらっしゃいます。

どうようなお客様にも気持ちよくご対応させて頂ける様、話し方やふるまいをお客様によって合わさせて頂く様にさせて頂いております。

ただ、しっかりと自分を軸にもっているのが、いつも前提なので、『思い』はブレずに、表現の仕方を変える工夫をいつも心がけています。

世の中には、教師と反面教師が存在し、この方のようになりたい、こういうふるまい、言動はしてはいけない等人から学ぶことが非常に多いです。

その事について、最近考えていて、見習いたいと思う方はたくさんいらっしゃいますが、その方自身にはなれないので、いかに良いところを見習って、自分のオリジナリティーを生かすかなんだと思いました。

心理学では、

先天的な生まれもっての『感情』『個性』を≪キャラクター≫

後天的な人生で学んだ人格を≪パーソナリティ≫といいます。

いかに、このパーソナリティを確立していくかが課題になります。

生きていると毎日大なり小なり学びがあります。
学ぼうとする気持ちがあればこそ、見えてくるもの、吸収出来るものがあります。

どんな自分になっていけるかは、自分の心持次第で大きく変わります。

今のままで何不自由なく生活出来ているかもしれないけど、せっかく頑張れる舞台があって、そのチャンスは自分次第でどうにでもなるなら、どうにかしていきたいと思います。

これが「欲」だと思います。

強欲は身を滅ぼしますが、向上するための良い欲はどんどん持つべきだと思っています。
その欲が、神経を敏感にし、自分を引き上げてくれる起爆剤だからです。
あるお寺さんの法話にこのようなお話がありました。

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経典の中に記されているお釈迦さんのこの言葉。
お釈迦さんの「欲望」に対する考え方がよく表れています。

この言葉が語られた背景には、このようなことがありました。

お釈迦さんが生きていた時代というのは、今から約2500年前の古代インドです。
雨季でない時、お釈迦さんや弟子たちは各々、「遊行」といって、修行や教化のために、各地を巡り歩いていました。

ある日、とある村の近くで休むことにしたお釈迦さん。
のどが渇いたので、同行していた弟子に、近くの村の井戸まで水を汲んでくるように頼みました。
弟子は村の井戸へと向かいますが、なんと、向かった先の井戸は、村人の手によって投げ込まれた草などで一杯になっていました。

当時、インドの人々の誰もが、お釈迦さんを尊敬していたわけではありません。
中には「エセ坊主!」などと非難する人もいました。
その日、お釈迦さん達が訪れた村は、そんな人々が住まう村だったのです。

事情を知った弟子は、水を汲むこともできず、お釈迦さん達のいる所へ戻りました。
そして、お釈迦さんに事情を説明しました。

そこで、お釈迦さんはあきらめるのかと思いきや、後でもう一度、水に汲みに行くよう弟子に頼んだのです。

おそらく、そう言われた弟子は、納得いかなかったでしょう。
しかし、お釈迦さんの言われた通り、後で井戸に行ってみました。
すると、井戸はきれいな水で一杯になっていました。
弟子は喜んで水を汲み、お釈迦さん達のところへ戻りました。

そして、その水を持って帰ってきた弟子に対して言ったのが、
「水、もし常になければ、その井戸が一体何になろうか? 欲、もし全く無ければ、一体何をどうしろというのだ?」
という言葉なのです。
どんなに上から草を入れたところで、井戸からは地下水が湧き出でています。
ですから、時間が経てば、草も徐々に沈み、表面から水がにじみ出て、水が汲めるようになることも、お釈迦さんは予想していたのでしょう。

どんなに井戸にフタをしようとも、湧いてくるものは湧いてきます。
人の欲望もどんなに抑えようとも、湧いてくるものは仕方がありません。

むしろ、水は井戸にとって無くてはならないものです。
水があってこそ、井戸は井戸なのです。
「欲望もそんな水のようなものなんだよ」
と、井戸から次々と湧き出る水の様子と、人間の持つ欲望を重ねています。

欲望は人が生きる限り、コンコンと湧き出てくるのです。
お腹が空いたら、食欲という欲望は生まれます。
欲がなければ、私達は生きていけません。
欲望は、人間が生きるためにも欠かせない要素なのです。
人には水が必要不可欠です。
全くなければ死んでしまいます。
かといって、多すぎる水は、人を溺れさせ、苦しませます。

まるで、私達が水に浮かぶ船のように、船を沈ませるのも水であれば、船を浮かしているのもまた水。
欲望は、人を殺すものともなれば、人を生かすものともなるわけです。

~~~~~~~~

自分の使い方を知らなければ、自分の力を生かす事は出来ません。
使い方を誤ると、全く違う方向へ進んでしまいます。

不幸になりたい、苦しみたいと思う人はいないはずで、人は幸せになりたい、上手くいかない状況に出くわすとなんとか抜け出したいと思うはずです。

その思いをどう生かすかで現在の状況が変わり、現在が変わると未来が変わります。

自分の欲としっかりと向き合い、たくさん道がある中から最善を選択していくと、必ず先に繋がるのだと思っています。

私達は人生の中で多くの出会いを重ね、たくさんの人と関わり時間を過ごしていきます。

カラーの勉強を数年前からやっているので、人と接すると、いつもこの方の心は何色だろうという事を思います。

生き方の綺麗な人は、綺麗な心の色なんだろうなと思うと惹きつけられます。

綺麗な水も、汚れ一滴落とすと、そこから波紋のように汚れは広がります。
いつも綺麗であることを心掛けたいと思います。

なので物事の解釈の仕方を間違わず、良い向上する為の欲を持ち出会いから学び、人の心を知り、自分のオリジナルのパーソナリティを創っていきたいと思います。