有限会社 エステート・リード

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存在価値

日時: 2015年08月24日

最近、社会人6、7年目になる長女、次女から職場での悩みや相談事を聞く事がありました。
職種や年齢、立場が違うと受け止め方も違い、毎日の仕事を通じて職場の方やお客様とのコミュニケーションをとることが難しく感じる時があり、それが大きな課題のようでした。

親としては娘たちが、明るく楽しく仕事をさせていただき、仕事を通じて成長していき、職場の皆さんやお客様に可愛がっていただけるように、素直に謙虚に学んで欲しいと願っています。

そのようなことを娘達に話をしていて、私自身の立場、職場のことを考えてみると、一緒に仕事をしている入社2年目の若い社員や私よりも10歳以上離れた社員も娘達と同じように職場の人間関係や仕事について悩んでいるのだろうな、と思いました。

私自身も、社会人になったばかりの時から今まで、職場が変わったり環境が変わるたびにそれぞれの場所でたくさんの方に出会わせていただき、人との関わり方やコミュニケーションを育む事を教えていただきました。
現在の職場においても、学ぶことがまだまだたくさんあり、私自身も後輩達と共に仕事を通じてもっと成長していきたいと思いました。

そのために自分と職場との関係を見直し、仕事の意味を改めて考えている時、「個人心理学」とも呼ばれるアドラー心理学の創始者、アルフレッド・アドラーについて書かれている本の中に興味深いものを見つけました。

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「ここは果たして私がいるべき職場なのか」という問題は、アドラー心理学でいう「所属の課題」である。

自分がどこかに所属しているという感覚は言葉を話し出す子供の時から死ぬ時まで生涯を通じて存在する。
人はまず、生まれてからは家族の中に所属しているかどうか、長じて学校では友人グループや部活のグループに所属しているかどうか。
職についてからは、自分の職場のグループに所属しているかどうかということを、絶えず感じている。

人は、自分の所属感を絶えず感じていると同時に、いつでも所属していたいという目標をもっている。
もし、所属がうまく果たせないことによって、所属感を持つことが出来なければ、精神的に不健康になるだろう。
その結果、不適応な状態になり、体調不良や無気力といった症状があらわれてくる。
所属感とは人が精神的にも肉体的にも健康に生きていくための基本条件といってもいい。

所属する先にはどのようなものが考えられるだろうか。

アドラーはまず家族を考えた。その次に友人。そして職場の人間関係である。
このような所属先を「共同体」と呼ぶ。

家族、友人、職場の3つの共同体の中で、その人がどのような所属を果たすか。つまりどのような人間関係をつくっていくかということをアドラ―は「ライフタスク」と呼んだ。
ライフタスクとは、人生の課題という意味だ。

私達の人生はどのような人であっても例外なく家族の課題、交友の課題、仕事の課題に日々直面することになる。
そうした課題を乗り越えていく中で、それぞれの共同体に所属を果たしていくのである。

職場という共同体と同僚、上司という人間関係の中にうまく自分の所属を見いだせない時、そのサインとして心身の不調が表れてくるのである。

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上述のように私達は、仕事に従事している時間が長く、人生に大きく影響してきます。
その大切な時間をどのように過ごすかによって精神的にも肉体的にも大きく影響されるのだと思いました。
家族との関係や友人関係も大切にし、充実できていると自然に職場の関係もうまくいくと思います。
人はひとりでは生きていけないので、常にどこかに「所属している」という安心感、「所属感」を求めて生きているのだと思いました。

所属先である「共同体」を自分の居心地のいい環境にしていくために、周りとコミュニケーションをとり人間関係を構築していく必要があります。
居心地がいいとは、厳しくても自分の成長につながるような環境だと思います。

そのためには、常に受け身ではなく自分から積極的にそのような環境を作り、行動していくことが必要だと思いました。
身体的にも精神的にも安定するために「共同体」に所属できているという感覚をもつためにどうすればいいか、アドラーは次のように記しています。

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それでは、共同体に所属出来ているという感覚はどうやって得られるのだろうか。

アドラーを日本に紹介した精神科医の野田俊作は、自己受容、信頼、所属、貢献の感覚に分けることを提案している。

ありのままの自分でいられる「自己受容」
周りの人に任せることが出来る「信頼」
自分の居場所がある「所属」
周りの人に役に立つことができる「貢献」

これらの4つの感覚が充足されることによって、「自分はここにいて、役に立つことができる」という所属の課題を果たすことが出来るのである。

職場の新人はまず、「自分はここでやっていけるだろうか」という感覚からスタートする。
新しい職場、新しい仲間の中に自分が飛び込んでいくわけだから、誰でも不安な気持ちになるだろう。
不安という感情は「未来のことについて準備せよ」というシグナルである。
不安を減らそうとして、私達はあれこれと考え、自分自身を準備状態にしようとする。

自分が現状の自分を受け入れることが可能なことを「自己受容」と呼ぶ。
「自分を飾ったり、背伸びしたり、偽ったりすることなく、そのままの自分でいていいのだ」という感覚である。準備がうまくいって、新しい職場で自分がうまくできているな、という感じを持てれば自己受容の感覚が出来てくる。
周りの人たちの役割は、新人がこの場所で自己受容できるようにすることである。
失敗をしたとしてもそれを叱ったり、責めたりすることなく
新しいスキルを獲得させる機会だと考えて、新人に教えることである。
そうした指導を積み重ねて新人に「この調子でいけば自分は成長できる」という見通しを獲得してもらう。これが自己受容につながる。

自己受容の感覚ができてくると、徐々にまわりの人達への信頼を持てるようになってくる。

信頼とは「周りの人達に安心して任せることが出来る」という感覚である。
信頼がなければ、周りの人達から支えてもらえない中で自分ひとりががんばらねければいけないと考え、無理をしてしまうことになる。そのような状況では心身が不調になることも不思議ではない。
新人に信頼の感覚をもってもらうためには、周りのひとたちが常にお互いを支えあっているのだということを表明することだ。そして、その中に新人も含まれているのだということを説明する。
職場の中で、一人だけで仕事をすることはない。
常にチームで仕事に取り組んでいるのだから、一人ではこなしきれないことがあれば、仲間に頼ることが出来る。そうした仕事のやり方を新人に覚えてもらうことによって、信頼の感覚ができていくだろう。

この職場にとってなくてはならない存在。

自己受容と仲間への信頼の感覚を身に着けていくと、その共同体に所属しているという感覚が生まれる。所属の感覚とは「自分の居場所がここにある」という感覚である。

ただ、配属されたからそこにいるのではなくて、「私はここにいて自分の能力を発揮できるし、周りの人を信頼することが出来る。だから私がここにいる意味がある」ということを確信しているということである。
「意味がある」ということは「私はこの場所になくてはならない存在である」という事を感じているということだ。

所属の感覚をもてるようになると、仕事のほとんどの困難を乗り越えていくことができる。
いかに早く新人に所属の感覚をもってもらうか、という事が分かれ目となる。

そのためには、新人の周りの人たちが「あなたはこの職場にとってなくてはならない存在」であると感じることである。

そして所属の感覚があって初めて共同体への貢献の感覚をもつことができる。
貢献の感覚とは「自分が自分の能力をつかって、仲間のために役に立つことができる」という感覚である。
このような貢献感を持てるようになると、そんな自分をさらに受け入れることができ、自己受容の感覚に
つながっていく。
これで4つの感覚が一連のプロセスとなって回っていくことになる。
このようなサイクルをたどって、自分が共同体の一員として所属している感覚を身に着けることをアドラーは共同体感覚と呼んだ。
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これを読んで、人は誰でも自分の存在を認めてもらいたい。必要としてもらっているという感覚がその人を支えているのだと思いました。

普段私達は、共同体感覚など意識せずに生活を送っていますが、この感覚は生まれついて持っているものではなく日々、実践することによって自分の身につけていくものだと思いました。

長く仕事をしている私でも職場で不安や悩みが出てくることがまだまだ多くあります。
入社して日の浅い社員や新入社員は尚更、悩みや不安が多いと思います。

そのような不安が出てきたときこそ職場の仲間達とつくる共同体と自分との関係を見直すチャンスとして捉えて、自分の考え方をどう変えればいいのか、また周りの人達がそれをどう支援すればいいのか、それぞれの解決法を見つけていき、後輩が「自己受容」し、周りへの信頼をもち自分の自信につながるように導いていきたいと思います。

人は誰でも必要な存在になりたいと思っています。

お互いを信頼し合い、全員が「なくてはならない存在」であると思えるような「共同体」をつくっていきたい。

明るく、楽しく、やりがいをもって仕事に取組み、「存在価値」を高めていきたいと思います。


無敵の経営    

日時: 2015年08月20日

藤島

私達は日々、世の中から必要とされる価値がある企業として認められ続けなければ経営を継続することが出来ません。

特にサービス業に於いては、お客様や消費者が求めるものを生み出し、それを本当に喜んでもらえる形にして世の中に提供し続けることが重要です。

どの様な世界や業界に於いても常にそれを作り出すのは人であり、その人、ひとり一人がどのような心で生きているか、どのような魂で懸命に仕事をしているか、どのように人を思い自分に関わる人を大切にしているかが全ての基本であり、それは一日一日の人と人の関わり合いをどれだけ大切に考え、相手を気持ちよくさせる心遣いや感謝の気持ちを持って過ごしているかが問われることとなると思います。

良いものを作り出せる人はお客様に対しても、職場の人たちに対しても、そして友達や恋人に対しても、また親や家族に対しても、決して戦わず、常に愛を与え続ける心豊かな人であり、『敵がいない無敵』ではなく、『敵をつくる必要がない無敵』な人であると言えると思います。

人から愛される人は恒久的な平和を望み、あえて争いごとを作らない、穏やかで寛大な心を持ち、人も自分も許せる人間だと思います。


この事に関して、北川八郎著『無敵の経営』より『無敵な人』と言うのはどのような人のことかを学びましたのでここに少しご紹介をさせて頂きます。


『無敵な人』とはどのような人のことか

① 人の胸の中に灯りをともらせる人

② いつも前向きでポジティブに生きられる人

③ 笑顔が『美しいお金を運んでくる』ことを知っている人

④ 周りに幸せをもたらすことができる人

⑤ 自分の失敗も他人の失敗も許せる人

⑥ 大好きをいっぱい持っている人

⑦ 人の和を大切にする人

⑧ いつも明るい未来を語る人

⑨ 力(パワー)よりも心の方が強いことを知っている人

⑩ 人々を救う意識を育てそれを企業に生かせる人


つまり総じて言うなら、ただひたすら「善意の人格者」であること。

良き未来を見据えてゆったりど~んと構えることが出来て、腹をくくってしっかり生きる生命力溢れた人。

そうすると戦って生きるよりもトラブルと苦が少なく自然の理で栄えていく。

無敵には2通りあって、戦いに勝って勝って勝ち抜く『敵がいない無敵』と、戦わずして人々に好意を持ち多くの人々の生活に役立つ商品やアイデアで消費者の支持を得る『敵をつくる必要がない無敵』。

敵だらけの力でねじ伏せる人より、人望で味方だらけの人の方がはるかに良い結果になる、すなわち、これが『自然の理で栄える』ことになり人生が心豊かに成幸(成功)する大切な秘訣だと思います。


未来への投資

日時: 2015年08月17日

遠藤

最近、たくさんの方と出会い、良い刺激を頂く事が多く、出会いの大事さとご縁をつないでいく大切さを改めて感じています。

営業という立場上、たくさんのお客様に出会い、仲介という立場上、多くの家主様とお会いし、また、業者さんも年々お知あいが増えています。

どなたとお会いしてもやはり初対面は緊張しますし、もともと若干人見知りなので、正直戸惑うこともありますが、いつも思うのは、この方とどれだけ楽しい時間を一緒に過ごせるかということです。

ただ、笑い話が出来る・・・だけでは、楽しいとはいえないので、どれだけ思いを満たして、エステート・リードを選んで良かったと思って頂き、満足という喜びを味わって頂いてこそ、初めて楽しさを感じて頂けるのではないかと思います。

その為に、普段からあらゆる知識や情報、経験を積んでおき、いつでも自分を出し切れるようにしておかなくてはいけないと思いました。

なんでも下準備が整ってないと、いざ本番で出来るはずがない。

普段できない事が本番で出来るはずがない、といつも自分に言い聞かせています。

ハウステンボス再建に尽力されたHIS創業者の澤田氏も下記のように準備の大切さを語っておられます。
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ハウステンボス再建への具体的な経費削減策の指示やイベントの立案は社長就任後ですが、実はその前から結構
手は打っていました。事前にちゃんと数字は全部見せてもらっています。

そんな、やみくもに経営に乗り出すなんていうのは危険ですから。
数字を見て、どこに問題があるのか、改良すべき点はどこか、アタリをつけて、実際に事前に現場にも来てチェックしました。

そして、外部との交渉も事前にしました。一番大きいのは莫大な借金をどうするかですね。私は金融機関と交渉して、約60億円あった債務の8割を放棄してもらうことができました。
残りの債務は出資金を使って、就任までのあいだに借金をゼロにしてしまいました。

借金がゼロなら、少なくとも黒字を出していれば倒産はしませんからね。

それに、無借金経営というのはエイチ・アイ・エス・グループの方針でもありますから。

そのほか、佐世保市から固定資産税納付額に相当する再生支援交付金を10年間にわたっていただくことも事前に決めました。
九州経済界からも、資金面だけでなくさまざまな協力をしていただける体制をつくりました。

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事前にあらゆることを想定し、着実に準備をされ挑まれた結果が今にあられるのだと思いました。
一昨年の弊社の社員旅行で長崎のハウステンボスに連れていって頂きましたが、素晴らしいと思いました。
冬場だったので、イルミネーションの素晴らしさや、各イベントショップの楽しさは今でも鮮明に記憶に残っています。

以前に「夢をかなえるゾウ」という書籍やドラマがあり、そこに出てくる主人公のガネーシャが『準備=未来への投資』

と言っていたのを思い出しました。

今出来る自分の準備をしっかり行い続ければ、必ず自分に返ってきます。

何かをやれる事があるという、ありがたさを思い、まず今自分に足りないものを考え、自分を創る準備を毎日重ねていきたいと思います。

それが、今まで出会った方たち、これから出会う方やちと楽しさを共有できる、大切な縁をつないでいけるという事に
繋がるのだと思います。
出会いがあり、やるべき事がある、元気で挑戦させて頂ける、そんな環境にいさせて頂けていることに心から感謝の気持ちでいっぱいです。

感謝は、心にためておかず、いろんな形で外へ放出すべきだと思っています。

ただ、何事も中途半端に行ったり、想いが足りなかったり、違う方向にベクトルが向いていたりすると、中途半端な結果しか返ってきません。

その結果を何かのせいにせず、自らに返り、自分を調整していく事の繰り返しが、心を成長させる事だと思います。
人に優しさを持てば、優しさが返ってきます。
人に憎しみをもてば、憎しみが返ってきます。

結果は全て自分が創りだしているのです。

野球のイチロー選手がこのような事を言っておられました。

『同じ練習をしていても、何を感じながらやっているかで、ぜんぜん結果は違ってくるわけです。』
どのような結果(未来)を創りたいのか自分に問いながら、日常に、出会いに、関わって下さる全ての人に、感謝の想いを
精一杯、存分にお返ししていけるよう、また、未来への投資を存分に行えるよう今後も日々準備を重ねて参ります。


現実に目を向ける

日時: 2015年08月11日

人は、何不十なく生活出来る事は、とても幸せな事です。

それを有難いと思うときは、何かあった時に初めて今まで、本当に幸せだったことをを改めて感じる事が出きると思いました。
先日、私の母が、突然、くも膜下出血で倒れ救急車で運ばれたと連絡を受け、慌てて病院へ駆けつけました。

その間、心配で心配で、どうか命だけは助かってほしい!と、願いながら車を走らせました。

病院へ着くと、緊急手術を行うとのこと…。

長時間の手術…その間に思ったことは、ただただ、助かってほしいという願いでした。

手術が無事に終了し命が無事だとわかった時に、一先ず安心しました。

でもすぐに思ったことは、後遺症が出ないように…と願いはじめている自分に気づきました。

知らず知らずに、どんどんいろんな欲が出てきてしまいました。

そんな自分を振り返った時に、本当に大切なものは何かを考えさせられました。

そこで以前読んだ本を思い返し、再び読んでみたのが乙武洋匡氏の『五体不満足の本』でした。
読み返して、感じた事は今の自分は生かされていることに、当たり前と勘違いをしている事でした。

そして、生きるための覚悟を如何に出来ていないかを改めて考えさせられました。

乙武洋匡氏の五体不満足の中で、母親が出産後乙武洋匡氏の生まれた喜びと生まれてくる子供への受け入れる姿勢は周りの人を驚かす状況だったようでした。

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乙武氏の出生

「本来ならば、出産直後に感動の母子ご対面となる。周りの配慮から1ヶ月も会えない状況にありました。

周りの人は母親の心配ばかりをしていたのですが実際に手と足がない状況に、母親の第一声は「かわいい」という言葉でした。
手足がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことが出来た喜びが上回ったのだろう。」
この「母子対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。
人と出会った時の第一印象というのは、なかなか消えないものだ。

後になってもその印象を引きずってしまうことも少なくない。
母が初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく「喜び」だった。

中略

乙武氏が成人となり人生の転機を向えてこれからの人生をどのように生きていこうか。
「どう生きていくのか」という問いは、そのまま「どのような人間になりたいのか」「何を最も大切にしていくのか」という問いにつながっていった。

それまで、最も重要視していたのは、お金や地位・名誉といったものだった。
だが、そのような自分の価値観に気づかされた時、「そんな人生はイヤだ」と思えた。
どんなに大金を持っていたって死んでしまったら意味がない。

いくら地位や名誉があったても、まわりから嫌われたら、そんなつまらないことはない。

そられらが、いい人生とは限らない。(むろん、人にはそれぞれの価値観がありますが)
その答えは、他人や社会の為どれだけの事が出来るのか。
周りの人にとれだけ優しく生きられるのか。

どれだけ多くの人と分かり合えるのか。
どれも難しいことではあるけれど、これが実践できれば、僕の人生は幸せだったと胸が張れる気がする。

乙武洋匡ができることはなんだろうか。

乙武洋匡にしか出来ない事はなんだろうか。

この問いに対する答えを見つけ出し、実践していくことが、「どう生きていくか」という問いに対しての答えになるはずだ。

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乙武氏のお母さんは、もっとも大切なかけがえのない我子を尊重し愛おしい本当の気持ちから、素直に出た言葉だったと思えました。

周りの方は、母親の思いを憶測で想像してしまい、この現実から逃避していたのかもしれません。

私もいつも、都合よく考えて自己防衛してしまう所があります。
しかし、ポジティブに考えることは、大切な考え方の一つなのですが、現実を避けてしまってはなんの意味もありません。
今起こっている現実を直視する事で、問題点や気づかなかった事が見えてきます。
その部分が見えれば、解決する為に、その壁を乗り越える為のまず一歩を踏み出す事をしなければなりません。
そして、一歩踏み出す事で、私自身の見えていなかったもの、不足していた事が徐々に霧が晴れるように気づきわかるようになります。
母の事も、元気で当たり前と、どこかで思っていたのかもしれません。

手術が無事に成功して本当は、とても、とても有り難いことなのに、後遺症が残ったら…とか、いろんな不安を自分で作ってしまい、解決策ではないことを考えていたかもしれません。

現実を受け入れ、そこに対して、自分が出来る精一杯をすることなのかなと思いこれは、私自身に対して神様から頂いたメッセージだと思いますので、逃げずに正面から向き合い実践して行きたいと思います。
社会で生かさせて頂いている中で、私の生きていく目的や使命であったり、私にしか出来ない事が必ずあります。
そして、今まで生きて来た中で、経験した事をこれからの世代の方たちに伝えなければならないものもあります。
これから、起きる現実にも真摯に受け止めて、前を向いて生きていかなけらばなりません。
逃げていても、何の解決にはなりません。

会社の中では、支援してくだっさている、お客様やスタッフの方々に感謝し、また、その気持ちに応えるには、誰もが喜んで頂ける仕事をしなければならないと思いました。

年齢に関係なく学ぶ事はまだまだたくさんあります。
起きた出来事に謙虚に受け止めることで、見えなかったものが見えたり、自分自身を成長する事も可能となります。

出来たことに満足せずに、更に自分を律し挑戦する気持ちを持ち続け、どんな出来事も喜んで受け入れて感謝する心を持ち続けていきます。

今岡