有限会社 エステート・リード

☎ 079-284-5900

日時: 2015年01月10日

遠藤 乃倫子

新年が明け、2015年が始まりました。

昨年は、たくさんの方にお世話になり、様々な出来事があり急流のような1年でしたが、大変貴重な1年でした。

長年、社に貢献して下さった愛社精神で溢れた方が独立により社を巣立たれたり、社内の変化も多くありました。

無我夢中で駆け抜けた1年でした。
その中で、今までやって頂いてたことのありがたさに感謝しながら、出来ることを探し、支えて下さる上司の思いに応えたい、まつわる皆様方に変わらず、いや、それ以上に応えさせて頂きたいという思いで走った1年でした。

その中で、やはり許され、守られてたことや、陰ながらの支えを感じ、懸命にさせて頂いていたが自分の不足を確認する機会でもありました。

年が明けると、いつも今年の流れを感じます。

このブログを書かせて頂くことは、その時の『感』を言葉にし、表現することで、感覚を明確化出来るので、大変良い時間を頂いてると改めて思います。

今年最初のブログを書かせて頂くにあたり、年初から頭に浮かんでいた言葉が『鏡』でした。

鏡は昔から、『魂を映す』とも言われています。
母から昔よく『鏡は女の魂だから、きれいに磨いておかないといけない』という事を言われていたのを思い出しました。

結局、鏡は自分を映すものなので、移るものが自分、見ているものが自分なんです。
だから、見えるのも、感じるものがきれいでなければ、自分が違う方向にいるのかなと思いました。

心理学の中でも鏡を引用したものが多くあります。

~~~~~~~~~~

「鏡の法則」とは、「私たちの人生の現実は、私たちの心の中を映し出す鏡であるという法則です。
つまり、 「自分の人生に起こる問題の原因は、すべて自分自身の中にある」

という考え方です。

例えば、鏡を見た時に、髪が乱れていたとします。
でも、鏡の中 に手を突っ込んで、髪を直すことはできません。
髪を直すには、自分自身 の髪に手をやる必要があります。
しかし、鏡の中の髪を直そうと頑張る人がとても多いのが現実です。

・子は親の心の鏡
・環境は自分の心の鏡
という感じです。
『認知不協和』

目の前に、真ん丸の円と、少し欠けた円があります。
(実際に絵で見るとよく分かります。)

真円と、少し欠けている円、どっちの円に目がいきますか?

人間の目は、欠けている円、特に欠けた部分 に目がいきます。

認知不協和という習性です。
欠けている部分が気持ち悪いと感じるのです。
元々、備わっている美意識の成せる業かもしれません。

この習性は、悲しいかな他人を観るときにも働いてしまいます。

他人の足りない箇所、駄目な箇所 に目がいくのです。
人の習性です。

ですから、意図して「良い箇所」「好ましい部分」を観る癖 をつける必要があります。
でなければ、人の粗(あら)ばかり探しては不平不満を言うだけの人間になってしまいます。

これはとても哀しいことです。


『投影』

他人の好きな箇所は、自分の認識している自分の好きな箇所です。
他人の嫌いな箇所も、自分の認識している自分の嫌いな箇所です。

他人の好きな箇所も嫌いな箇所も全て、他人という鏡を通して観る自分自身の良い箇所、嫌な箇所なのです。

これを心理学用語で投影と言います。

他人のあそこが嫌いと言ってみても、実は、他人に投影した自分の嫌な箇所が嫌い、と言っているようなものです。
人の悪口は、自分の悪口でもあります。
同族嫌悪とも言いますね。

逆を言えば、自分に関して好きだと認識していない箇所については、他人が持っていても認識できません。

ですから、自分の好きな箇所、良いと思う箇所をいっぱい探しましょう。
そうすれば、他人の中にもいっぱい好きになれる箇所を発見することになります。
人は完璧にして不完全な存在

人は誰もが例外なく、全知全能の完璧な魂を持っています。
私たちは、初源の光から分かれた存在、つまり、リトルゴッドです。

しかしながら、この世に来るまでの過程で、自身のその完璧な魂に何重ものベールが重なりました。
そのベールが純粋な光を弱く鈍くしています。

人は完璧な存在なれど、不完全な存在である、というのはこういうことです。
ある人はこれを「人からエゴを抜いた存在が神である」と表現しました。

私たちは何回も転生輪廻を繰り返しながら、完全さ(純粋な光)を取り戻す修行の旅をしているのです。

皆、修行中の身です。
自分にも足りないところがいっぱいあるように、人にもまた、足りない箇所があるのだと、知りましょう。
人の良いところを観てあげましょう、というのは、

自分の良さを発見し、良さを育て取り戻す旅でもあります。

積極的に良い部分を見つけて自分と他人の種に(良い部分)にお水をあげてお花を咲かせましょう。
いろんな花をたくさん咲かせた者勝ちです!
以上が「鏡の法則」です。

≪人は鏡≫ 特に近しい間柄の人である、親、子、兄弟、姉妹、夫婦はピカピカ光った自分を赤裸々に写してくれる鏡です。

(奥本哲弘氏著)

~~~~~~~~
『認知不協和」『投影』にもあるように、今自分の見ている世界が、どこの世界なのかを改めて考えたいと思いました。

新年に弊社の代表が魂を磨く、お客さんの心に添うということをブログに書いて下さいました。
お客様とひとえに言っても、家主様、顧客様、取引業者様、提携業者様など様々な方がいて下さってこそ、社が成り立っています。また、社が成り立つには社長、上司、同僚など共に働かせて頂く人が必ず居てくださいます。

”人”と関わることの大切さ、”人”と共存する思いを大切にしなければいけないと改めて感じました。
そして、”人”をよく見ることが大事なんだと思いました。

見ようとしないと見えてこないものはあります。
見てるつもりで、見落としていることもあります。
陰ひなたで支えて下さっている人が必ずいることへの認識、感謝をおざなりにしてはいけないと思いました。
上述でもあった、人は、エゴについて考えてみると、エゴとは、ネットの辞書機能で調べると、

1自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。利己主義。
2哲学で、自我だけが確実に存在し、他は一切認識不能であるとする

とあります。

そんな世界だと、恐ろしいことになります。
心の鏡が曇っていると、曇った見え方しかしません。
人は様々な知識の中で、経験を積み重ねます。
また、経験を積むことで、知識を得ていきます。

曇った心で悪いことをしてやろう!と思い行動する人はほぼいないと思います。

どのようなエゴかは人それぞれですが、思いというのは押しつけではなく溢れるもの、共有するもの、浸透するものなんだと思いました。

いつも社に飾らせて頂いていた生花を買わせて頂いてたお花屋さんのお母さんと話すと『この花は、こうやってたら長く持つ、この花の特徴はこうだからこうしてやるといい』などど教えて頂いていました。

人も同じで、人それぞれの性質、性格、思いがあられます。
その思いに、どれだけ気づき、寄り添えるかでその後のご縁が変わるのだと思います。
曇りの無い心で、真っ直ぐに人と接っし続けれる人でありたいと思いました。


そういった事を常日頃から社内でいつも勉強させて頂き、教えて頂いています。
だからこそ、感じることのできる感情なんだと思います。

自分なりの一生懸命が”エゴ”にならないよう、でも、もちろん寄り添うばかりではダメなこともあります。

気持ちをまっすぐに、お花屋のお母さんのように、ひとつひとつの性質を知り大切にという思いを教訓に、”今”を大事に未来を創っていきたいと思います。

目で見る鏡、心の鏡が見えている部分、見たい部分だけではなく、いつもピカピカであれるよう、磨いていきたいと心から思います。

昨年の感謝を心より込めて、懸命に精進させて頂きます。