自己観照
日時: 2015年05月09日
先日、8日に月例の社内勉強会がありました。
今回は、支店のみなさんが司会進行を行って下さり、大変楽しい勉強会となりました。
勉強会は、まず自分を知るというところから始まりました。
”深層心理”の面白さを改めて体験させて頂きました。
分かっているようで、分かっていなのが自分。
日常の言動や思考の仕方など、すべてに自分が出ており、日常は当たり前に過ごしているので気付かないのですが、当たり前の自分に慣れすぎて自分を基準に物事を判断したり、考えてしまいます。
自分の傾向が分かっていれば、あらゆる場面で対応出来る方法を事前に準備しておく事が出来ます。
ただ、客観的に『自分の傾向』が分かるのは機会は、勉強する機会(朝礼や勉強会等)を通して気付かせて頂いたり、よほど自分で意識しないと難しいことだと思います。
でも、自分という最大の武器を生かすか、埋もれさすかは自分次第なので、まずは素直に今の自分、自分の傾向を受け入れて、生かすことが大事なんだと思いました。
一代で世界の松下電器を築き上げた松下幸之助扇。
その人間観・経営観の根底には、つねに「素直な心」があったそうです。
この素直な心こそが、何ものにもとらわれない心で、強く正しく聡明な人生の歩みを可能にするものなのだと言われています。
松下幸之助扇は、「素直な心」を次のように定義しています。
「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。
また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります」。
お互い人間が最も好ましい生き方を実現していくには、それにふさわしい考え方や行動をする
ことが大切で、その根底になくてはならないものが「素直な心」である。
また、素直な心の内容10か条として、下記の言葉を残されています。
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第1条 『私心にとらわれない』:(素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、 私心にとらわれることのない心である)
第2条 『耳を傾ける』:(素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である)
第3条 『寛容』:(素直な心の内容の中には、万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心というものも含まれている)
第4条 『実相が見える』:(素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である)
第5条 『道理を知る』:(素直な心というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である)
第6条 『すべてに学ぶ心』:(素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である)
第7条 『融通無碍』:(素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である)
第8条 『平常心』:(素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処してゆくことのできる心である)
第9条 『価値を知る』:(素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、 価値あるもの
はその価値を正しくみとめることのできる心である)
第10条 『広い愛の心』:(素直な心というものは、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心である)
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では、素直でないとどうなるか・・・
「エゴに囚われ、傲慢になり、嫌いな人や物事を許すことができず、物事の本質が見えず、 道理をねじ曲げ、他から学ぶこともできず、融通が利かず、常に感情的であり、 人や物事の価値を自身の経験則もしくは感情のみで判断し、冷徹で優しくない人物」。
という事になります。
自分がこのうような人間になりたいか?と問われたら、迷わずNOという回答をします。
でも、知らず知らずに素直さが欠けてしまっていたら、自分は素直にしているつもりが足りてなかったら・・・と考えると怖いと思いました。
第6条にあるように、全てから学ぼうとする気持ちを忘れないでおこうと思います。
自分を学び、人を学び、技術を学び、素直に吸収していこうとすることで、いろんな物事を柔軟に見れるようになり、聞き入れ、取り入れれるようになると思います。
松下幸之助扇は、素直な心を養う10か条の中に『自己観照』を挙げておられます。
自己観照は、今回の勉強会で行って頂いた『自分の傾向・本質を知る』という事です。
~~~『自己観照』より抜粋~~~
“我執”ということばがありますが、お互い人間は、意識しないまでも、つい自分自身にとらわれるというか、自分で自分がしていることを正しく評価できないことが多いのではないでしょうか。
もちろん、人はよく「自分のことは自分が一番知っている」といいます。
たしかに自分の思いは、他人にはうかがいしれない場合が多いのですから、他人よりも自分のほうがよく知っているはずです。
しかし、自分の考えや行ないが果たして独善でなく、道理にかなっているのかどうか、社会的に正しいことかどうか、人情の機微に適したものかどうかを評価する段になると、これはまた別だと思うのです。
むしろその点については、他人のほうがよく知っている場合が少なくないでしょう。
それはやはり、人間というものは、どうしても知らず知らずのうちに自分中心に、あるいは自己本位にものごとを考えがちになって、他人からみたらずいぶんおかしいことでも、一生懸命に考え、それを正しいと信じている場合が多いからではないでしょうか。
もしそのように、自分自身にとらわれた自己本位の考え方を押し通そうとしたら、やはり物事が円滑に運ばないでしょう。
他人が傷つくか、あるいは自分が傷つくかするでしょうし、ましてその考えが社会正義なり共同の幸せに反することならば、やがては自分の身を滅ぼしてしまうことにもなりかねません。
かつてのヒットラーやムッソリー二、あるいは日本の軍部指導者のなかにも、こうした傾向が一部あったことは否定できないと思うのです。
つまりそういう人たちは、自分の考えを絶対に正しいと信じこんで、知らず知らずのうちに自己本位の勝手な考えなり行動に陥っていることに気づかなかった。
それが自分だけでなく周囲の多くの人びと、あるいは国全体を迷わせ、そこに多大の損失と不幸を招くことになってしまったのだといえましょう。
どうすれば自分自身にとらわれない素直な心になれるのかといえば、その一つとして「自己観照」を心がけたらどうかと思います。
これは、いわば自分の心をいったん外に出して、その出した心で自分自身を眺め返してみる、つまり客観的に自分で自分を観察することを心がけたらどうかということです。
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素直であるという事の重要性を改めて感じさせられました。
上述にあった『自分の考えを絶対に正しいと信じこんで、知らず知らずのうちに自己本位の勝手な考えなり行動に陥っていることに気づかなかった。それが自分だけでなく周囲の多くの人びと、あるいは国全体を迷わせ、そこに多大の損失と不幸を招くことになってしまったのだといえましょう。』
この言葉を肝に銘じ、自ら学び、教えて頂き、素直に吸収していける人であれるよう常に自己観照し続け、幸を招けるよう精進して参ります。