有限会社 エステート・リード

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美しい姿勢

日時: 2015年09月24日

平 美穂

私は仕事柄、お客様によく「美しい姿勢をしましょう」とお伝えしています。

美しい姿勢とは、背筋を伸ばし、顎を引き、両肩を後ろに引きます。
すると、胸が広がり呼吸が深くなり血液中の酸素が血管を通って身体の隅々にまで行き渡ります。

身体中を巡る血液がきれいになると自然と肌の色も健康的になり、皮膚の構造上、くすみのない美しい肌になります。

また、ホルモンバランスも姿勢で変わるといわれていて社会心理学者エイミー・カディが面白い調査をしています。

それは、やる気や自信をつけさせるといわれる「テストステロン」という脳内ホルモンの分泌量の調査です。

2分間、いわゆる良い姿勢をするとテストステロンが20%増し2分間、猫背、顎が前に出てしまうなどの姿勢をするとテストステロンが10%減少するというのです。

これらは、人はどのようなボディランゲージをするかで脳内ホルモンの分泌も変化するという調査報告でありこのデータを見ても人の姿勢が具体的にホルモンに影響し、ひいては発想や身体、臓器の活動にも影響を与えることが解ります。

このように姿勢を正すとどんないいことが起きるかということが医学的にも証明されていますが、私達日本人は昔から「躾」のひとつで「正しい姿勢をしましょう」ということも教えられてきました。

私も食事のときなどはとくに厳しく、物心がつく頃には家族全員で姿勢を正し、正座をして食事をする。
私語を慎み、箸の持ち方、茶碗の扱いにいたるまで両親から厳しい躾を受けてきました。

小さい頃は窮屈な思いもしましたが、今となってはそれなりに箸を正しく持てることや簡単な作法を知っていることに感謝しています。

「躾」とは身を美しくと書きます。
身体だけではなく人の心は、どんな人も、まず姿勢に現れると思います。
心が乱れているときは、姿勢が乱れ、心が安定しているときは姿勢も安定します。

『姿勢を正す』という言葉を調べてみると

「体の構え方や心構えなどを改めてきちんと整えること。多くの場合、改まった態度で物事に面することなどを意味する。
座っている姿勢については『居住まいを正す』などとも言う。 」

とありました。

姿勢を正すことは背筋を伸ばす、顎を引くといった身体を意識することだけではなく「心を正していく」という事にも繋がるのだと思います。

私達は朝起きてから生活のすべてにおいてどのような心構えで生きていくかで一日が変わり、その一日一日積み重なって人生が変わっていくのだと思います。

起こること全てにおいて謙虚に受け止めて前向きに取り組もうとすると自然に背筋が伸び、学ばせて頂いている環境にあるという感謝の気持ちがわいてきます。

仕事も周りの方とのコミュニケーションのとり方もすべて受け止める心を正し、何が起きても真摯に受け止めることをひとつひとつ丁寧に積み重ねていき自分の価値をあげていきたいと思います。

また、美しい姿勢からは美しく響く言葉や表情、声、などがうまれ、理想の姿勢を維持することで自分の体と心に意識付ける事が出来ると思います。

私も日頃から声のトーンや言葉を選ぶ事に注意していますが、無意識にそのような穏やかな発信が出来るようになると周りへ与える影響も穏やかで明るくなると思います。

心がけに意識を向け、心がけを大切にしていく努力を怠らずに、背筋を伸ばし、穏やかに凛とした姿勢で、そこにいるだけで明るく周囲を照らすような存在を目指して常に正しい姿勢を心がけ、同時に心も正していくことを意識して心身共に健康でありたいと思います。


また、お一人でも多くの方に、肌の改善だけではなく、心身ともに健康でいていただくために「美しい姿勢」「美しい心構え」をお伝えし続けていき、自分自身も実践していきたいと思います。


自分を信じる

日時: 2015年09月11日

今岡


最近メディアでよくみかける、人生相談などで活躍されておられる、心屋仁之助さんは鋭い洞察力で人の心の奥底にあるものを見事に言い当て、相談者に的確なアドバイスをされます。
今まで思っていなかった事をずばり的確に回答される、その場面を見ていると、なるほどそうだったのか!そう考えるんだな~と思いました。そして、自分にも当てはまることが多くある事に、気づく事も出来ました。

悩んで相談される本人は今まで考えていなかった事に気づかされる事で、何かを吹っ切れた表情は見ていても伝わってきました。
相談者は思いもよらない言葉で、隠し続けた心の奥底をさらけ出す事が出来、自分を見つめ直せる場面がたくさんありました。
私も心屋さんのメッセージによって自分にも自信が持てない、嫌な自分がある事に気づき本当は自分で気づいていても、認めたくない気持ちが心の奥底であり、自分で自分を封印してしまっている事に気づかされる事がありました。
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『折れない自信をつくるシンプルな習慣』        心屋 仁之助 著

『自信がない人は、「自身」がない』

「自信がない人」って、世の中にはたくさんいます。
「仕事をしていても、いつもどこかで自信がもてない」
「何をやっても、どこの職場でも、うまくいかない気がする」
「間違いを指摘されないかとビクビクする」
「がむしゃらにがんばって一番の売上を達成して、一時は自信がついても今度はいつ落ちるのかを考えると不安でしかたがない」
「実績を上げても、目標を達成しても『これでいいのか』とあせる自分がいる」
このように「自信がない人」の性格や状況を抱えている思いは人それぞれです。

でもね、僕が相談に乗ってきた方の「自信がない」という話をよく聞いてみると、「自分には価値がない」と思っている-たいていが、こういうことなんです。

自分の「価値」が「ない」って思っているのです。
では、その「価値」を決めるのは誰でしょう。
僕はサラリーマン時代、自分の価値を決めるのは、他人だと思っていました。
「他人」が評価してくれたり、ほめてくれりしたら、自分には価値があると思っていました。

だからこそ僕は期待に応えようと、ほめられるように頑張ってきました。

でも期待に応えられるこのもあれば、頑張っても応えられない時もありました。
期待に応えられない、ほめられないと、「まだ、頑張りが足りない」「もっと頑張らない」と、更に頑張ろうとしていました。
でも、僕の価値を決めるのは「他人」なのだろうか、本当に自分には自分には価値がないのだろうか、と。すると気づいたんです。

自分の価値を決めるのは、「他人」だと思って頑張ってきたけれど、でも、自分が一番、自分を評価していなかったことに。
自分で自分を「価値がある」と思っていないのに、「素晴らしい」と思っていないのに、他人にたいして「価値があると思ってよ」「素晴らしいと思ってよ」と求めていたんだということに。
「他人」の評価という視点があっても、「自分」という視点がありません。
自分の評価を、すべて「他人」基準に委ねてしまっている。
つまり「自分がない」のです。

僕はこの状態のことを、「『自身がない』から『自信がない』」と表現します。
僕は、自信って「自分を信じること」だと思っています。
自分で「自分には価値がある」信じること。自分で「自分は素晴らしい」と知ること。
これが僕のいう「自信」です。
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私は、よくミスや過ちを犯してしまったときに、迷ってしまい何も出来ていない自分が恥ずかしくなり、また、こんな自分が嫌になり、自分を拒否してしまい、すべての自信を失ってしまう事があります。
そんな自分を見て周りの方へよけいな心配を掛けたり、周りに方に気を遣わせている事にその時には気づかず冷静になった時に初めて気づく事があり、自分の精神の弱さを露呈してしまっています。

いつも会社の皆様は、そんな私に、優しく助けて頂く場面が多々あり、また、私の落ち込んだ気持を引き上げて下さり、皆様に大変ご苦労を掛けてしまっています。
そんな私の為に教えてくだっさた皆様に感謝の気持で一杯です。

心屋氏の言葉にあった「自信がない人」は今の自分にぴったりでした。
自分の価値を自分で落としている事にさえ気づかずにいる事は、全ては自分に自信がない所に始まり、不安がいつまでも拭いきれない、そんな自分には価値がないと思ってしまっているところがありました。
そして、私の悪い所である、他人からのどう見られているのかばかりを気にしていました。

大切なのは、嫌われる勇気、恥をかく覚悟、自分らしく自分を信じる気持ちどんな出来事があっても感謝を持ち、相手への敬意を払うようにしなければいつまで経っても自分が変わる事が出来ないと事を、心屋氏の本を読んで感じました。

そして、心の持ち方を大切にしなければならないと思いました。

自分自身を信じるのは、自分しかないので、自分の気持を上げていき、価値ある人にならなければなりません。
そして、いつも見守って下さっている、たくさんの方々に感謝し、一回り大きく成長した心の強い人になり、皆様から喜んでいただける人物になることで、恩返しをしていきたいと思います。


日時: 2015年09月10日

遠藤

仕事上、たくさんのお客様にお会いする機会を頂いています。
お客様も十人十色というように様々なお客様がいらっしゃいます。

どうようなお客様にも気持ちよくご対応させて頂ける様、話し方やふるまいをお客様によって合わさせて頂く様にさせて頂いております。

ただ、しっかりと自分を軸にもっているのが、いつも前提なので、『思い』はブレずに、表現の仕方を変える工夫をいつも心がけています。

世の中には、教師と反面教師が存在し、この方のようになりたい、こういうふるまい、言動はしてはいけない等人から学ぶことが非常に多いです。

その事について、最近考えていて、見習いたいと思う方はたくさんいらっしゃいますが、その方自身にはなれないので、いかに良いところを見習って、自分のオリジナリティーを生かすかなんだと思いました。

心理学では、

先天的な生まれもっての『感情』『個性』を≪キャラクター≫

後天的な人生で学んだ人格を≪パーソナリティ≫といいます。

いかに、このパーソナリティを確立していくかが課題になります。

生きていると毎日大なり小なり学びがあります。
学ぼうとする気持ちがあればこそ、見えてくるもの、吸収出来るものがあります。

どんな自分になっていけるかは、自分の心持次第で大きく変わります。

今のままで何不自由なく生活出来ているかもしれないけど、せっかく頑張れる舞台があって、そのチャンスは自分次第でどうにでもなるなら、どうにかしていきたいと思います。

これが「欲」だと思います。

強欲は身を滅ぼしますが、向上するための良い欲はどんどん持つべきだと思っています。
その欲が、神経を敏感にし、自分を引き上げてくれる起爆剤だからです。
あるお寺さんの法話にこのようなお話がありました。

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経典の中に記されているお釈迦さんのこの言葉。
お釈迦さんの「欲望」に対する考え方がよく表れています。

この言葉が語られた背景には、このようなことがありました。

お釈迦さんが生きていた時代というのは、今から約2500年前の古代インドです。
雨季でない時、お釈迦さんや弟子たちは各々、「遊行」といって、修行や教化のために、各地を巡り歩いていました。

ある日、とある村の近くで休むことにしたお釈迦さん。
のどが渇いたので、同行していた弟子に、近くの村の井戸まで水を汲んでくるように頼みました。
弟子は村の井戸へと向かいますが、なんと、向かった先の井戸は、村人の手によって投げ込まれた草などで一杯になっていました。

当時、インドの人々の誰もが、お釈迦さんを尊敬していたわけではありません。
中には「エセ坊主!」などと非難する人もいました。
その日、お釈迦さん達が訪れた村は、そんな人々が住まう村だったのです。

事情を知った弟子は、水を汲むこともできず、お釈迦さん達のいる所へ戻りました。
そして、お釈迦さんに事情を説明しました。

そこで、お釈迦さんはあきらめるのかと思いきや、後でもう一度、水に汲みに行くよう弟子に頼んだのです。

おそらく、そう言われた弟子は、納得いかなかったでしょう。
しかし、お釈迦さんの言われた通り、後で井戸に行ってみました。
すると、井戸はきれいな水で一杯になっていました。
弟子は喜んで水を汲み、お釈迦さん達のところへ戻りました。

そして、その水を持って帰ってきた弟子に対して言ったのが、
「水、もし常になければ、その井戸が一体何になろうか? 欲、もし全く無ければ、一体何をどうしろというのだ?」
という言葉なのです。
どんなに上から草を入れたところで、井戸からは地下水が湧き出でています。
ですから、時間が経てば、草も徐々に沈み、表面から水がにじみ出て、水が汲めるようになることも、お釈迦さんは予想していたのでしょう。

どんなに井戸にフタをしようとも、湧いてくるものは湧いてきます。
人の欲望もどんなに抑えようとも、湧いてくるものは仕方がありません。

むしろ、水は井戸にとって無くてはならないものです。
水があってこそ、井戸は井戸なのです。
「欲望もそんな水のようなものなんだよ」
と、井戸から次々と湧き出る水の様子と、人間の持つ欲望を重ねています。

欲望は人が生きる限り、コンコンと湧き出てくるのです。
お腹が空いたら、食欲という欲望は生まれます。
欲がなければ、私達は生きていけません。
欲望は、人間が生きるためにも欠かせない要素なのです。
人には水が必要不可欠です。
全くなければ死んでしまいます。
かといって、多すぎる水は、人を溺れさせ、苦しませます。

まるで、私達が水に浮かぶ船のように、船を沈ませるのも水であれば、船を浮かしているのもまた水。
欲望は、人を殺すものともなれば、人を生かすものともなるわけです。

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自分の使い方を知らなければ、自分の力を生かす事は出来ません。
使い方を誤ると、全く違う方向へ進んでしまいます。

不幸になりたい、苦しみたいと思う人はいないはずで、人は幸せになりたい、上手くいかない状況に出くわすとなんとか抜け出したいと思うはずです。

その思いをどう生かすかで現在の状況が変わり、現在が変わると未来が変わります。

自分の欲としっかりと向き合い、たくさん道がある中から最善を選択していくと、必ず先に繋がるのだと思っています。

私達は人生の中で多くの出会いを重ね、たくさんの人と関わり時間を過ごしていきます。

カラーの勉強を数年前からやっているので、人と接すると、いつもこの方の心は何色だろうという事を思います。

生き方の綺麗な人は、綺麗な心の色なんだろうなと思うと惹きつけられます。

綺麗な水も、汚れ一滴落とすと、そこから波紋のように汚れは広がります。
いつも綺麗であることを心掛けたいと思います。

なので物事の解釈の仕方を間違わず、良い向上する為の欲を持ち出会いから学び、人の心を知り、自分のオリジナルのパーソナリティを創っていきたいと思います。



存在価値

日時: 2015年08月24日

最近、社会人6、7年目になる長女、次女から職場での悩みや相談事を聞く事がありました。
職種や年齢、立場が違うと受け止め方も違い、毎日の仕事を通じて職場の方やお客様とのコミュニケーションをとることが難しく感じる時があり、それが大きな課題のようでした。

親としては娘たちが、明るく楽しく仕事をさせていただき、仕事を通じて成長していき、職場の皆さんやお客様に可愛がっていただけるように、素直に謙虚に学んで欲しいと願っています。

そのようなことを娘達に話をしていて、私自身の立場、職場のことを考えてみると、一緒に仕事をしている入社2年目の若い社員や私よりも10歳以上離れた社員も娘達と同じように職場の人間関係や仕事について悩んでいるのだろうな、と思いました。

私自身も、社会人になったばかりの時から今まで、職場が変わったり環境が変わるたびにそれぞれの場所でたくさんの方に出会わせていただき、人との関わり方やコミュニケーションを育む事を教えていただきました。
現在の職場においても、学ぶことがまだまだたくさんあり、私自身も後輩達と共に仕事を通じてもっと成長していきたいと思いました。

そのために自分と職場との関係を見直し、仕事の意味を改めて考えている時、「個人心理学」とも呼ばれるアドラー心理学の創始者、アルフレッド・アドラーについて書かれている本の中に興味深いものを見つけました。

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「ここは果たして私がいるべき職場なのか」という問題は、アドラー心理学でいう「所属の課題」である。

自分がどこかに所属しているという感覚は言葉を話し出す子供の時から死ぬ時まで生涯を通じて存在する。
人はまず、生まれてからは家族の中に所属しているかどうか、長じて学校では友人グループや部活のグループに所属しているかどうか。
職についてからは、自分の職場のグループに所属しているかどうかということを、絶えず感じている。

人は、自分の所属感を絶えず感じていると同時に、いつでも所属していたいという目標をもっている。
もし、所属がうまく果たせないことによって、所属感を持つことが出来なければ、精神的に不健康になるだろう。
その結果、不適応な状態になり、体調不良や無気力といった症状があらわれてくる。
所属感とは人が精神的にも肉体的にも健康に生きていくための基本条件といってもいい。

所属する先にはどのようなものが考えられるだろうか。

アドラーはまず家族を考えた。その次に友人。そして職場の人間関係である。
このような所属先を「共同体」と呼ぶ。

家族、友人、職場の3つの共同体の中で、その人がどのような所属を果たすか。つまりどのような人間関係をつくっていくかということをアドラ―は「ライフタスク」と呼んだ。
ライフタスクとは、人生の課題という意味だ。

私達の人生はどのような人であっても例外なく家族の課題、交友の課題、仕事の課題に日々直面することになる。
そうした課題を乗り越えていく中で、それぞれの共同体に所属を果たしていくのである。

職場という共同体と同僚、上司という人間関係の中にうまく自分の所属を見いだせない時、そのサインとして心身の不調が表れてくるのである。

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上述のように私達は、仕事に従事している時間が長く、人生に大きく影響してきます。
その大切な時間をどのように過ごすかによって精神的にも肉体的にも大きく影響されるのだと思いました。
家族との関係や友人関係も大切にし、充実できていると自然に職場の関係もうまくいくと思います。
人はひとりでは生きていけないので、常にどこかに「所属している」という安心感、「所属感」を求めて生きているのだと思いました。

所属先である「共同体」を自分の居心地のいい環境にしていくために、周りとコミュニケーションをとり人間関係を構築していく必要があります。
居心地がいいとは、厳しくても自分の成長につながるような環境だと思います。

そのためには、常に受け身ではなく自分から積極的にそのような環境を作り、行動していくことが必要だと思いました。
身体的にも精神的にも安定するために「共同体」に所属できているという感覚をもつためにどうすればいいか、アドラーは次のように記しています。

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それでは、共同体に所属出来ているという感覚はどうやって得られるのだろうか。

アドラーを日本に紹介した精神科医の野田俊作は、自己受容、信頼、所属、貢献の感覚に分けることを提案している。

ありのままの自分でいられる「自己受容」
周りの人に任せることが出来る「信頼」
自分の居場所がある「所属」
周りの人に役に立つことができる「貢献」

これらの4つの感覚が充足されることによって、「自分はここにいて、役に立つことができる」という所属の課題を果たすことが出来るのである。

職場の新人はまず、「自分はここでやっていけるだろうか」という感覚からスタートする。
新しい職場、新しい仲間の中に自分が飛び込んでいくわけだから、誰でも不安な気持ちになるだろう。
不安という感情は「未来のことについて準備せよ」というシグナルである。
不安を減らそうとして、私達はあれこれと考え、自分自身を準備状態にしようとする。

自分が現状の自分を受け入れることが可能なことを「自己受容」と呼ぶ。
「自分を飾ったり、背伸びしたり、偽ったりすることなく、そのままの自分でいていいのだ」という感覚である。準備がうまくいって、新しい職場で自分がうまくできているな、という感じを持てれば自己受容の感覚が出来てくる。
周りの人たちの役割は、新人がこの場所で自己受容できるようにすることである。
失敗をしたとしてもそれを叱ったり、責めたりすることなく
新しいスキルを獲得させる機会だと考えて、新人に教えることである。
そうした指導を積み重ねて新人に「この調子でいけば自分は成長できる」という見通しを獲得してもらう。これが自己受容につながる。

自己受容の感覚ができてくると、徐々にまわりの人達への信頼を持てるようになってくる。

信頼とは「周りの人達に安心して任せることが出来る」という感覚である。
信頼がなければ、周りの人達から支えてもらえない中で自分ひとりががんばらねければいけないと考え、無理をしてしまうことになる。そのような状況では心身が不調になることも不思議ではない。
新人に信頼の感覚をもってもらうためには、周りのひとたちが常にお互いを支えあっているのだということを表明することだ。そして、その中に新人も含まれているのだということを説明する。
職場の中で、一人だけで仕事をすることはない。
常にチームで仕事に取り組んでいるのだから、一人ではこなしきれないことがあれば、仲間に頼ることが出来る。そうした仕事のやり方を新人に覚えてもらうことによって、信頼の感覚ができていくだろう。

この職場にとってなくてはならない存在。

自己受容と仲間への信頼の感覚を身に着けていくと、その共同体に所属しているという感覚が生まれる。所属の感覚とは「自分の居場所がここにある」という感覚である。

ただ、配属されたからそこにいるのではなくて、「私はここにいて自分の能力を発揮できるし、周りの人を信頼することが出来る。だから私がここにいる意味がある」ということを確信しているということである。
「意味がある」ということは「私はこの場所になくてはならない存在である」という事を感じているということだ。

所属の感覚をもてるようになると、仕事のほとんどの困難を乗り越えていくことができる。
いかに早く新人に所属の感覚をもってもらうか、という事が分かれ目となる。

そのためには、新人の周りの人たちが「あなたはこの職場にとってなくてはならない存在」であると感じることである。

そして所属の感覚があって初めて共同体への貢献の感覚をもつことができる。
貢献の感覚とは「自分が自分の能力をつかって、仲間のために役に立つことができる」という感覚である。
このような貢献感を持てるようになると、そんな自分をさらに受け入れることができ、自己受容の感覚に
つながっていく。
これで4つの感覚が一連のプロセスとなって回っていくことになる。
このようなサイクルをたどって、自分が共同体の一員として所属している感覚を身に着けることをアドラーは共同体感覚と呼んだ。
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これを読んで、人は誰でも自分の存在を認めてもらいたい。必要としてもらっているという感覚がその人を支えているのだと思いました。

普段私達は、共同体感覚など意識せずに生活を送っていますが、この感覚は生まれついて持っているものではなく日々、実践することによって自分の身につけていくものだと思いました。

長く仕事をしている私でも職場で不安や悩みが出てくることがまだまだ多くあります。
入社して日の浅い社員や新入社員は尚更、悩みや不安が多いと思います。

そのような不安が出てきたときこそ職場の仲間達とつくる共同体と自分との関係を見直すチャンスとして捉えて、自分の考え方をどう変えればいいのか、また周りの人達がそれをどう支援すればいいのか、それぞれの解決法を見つけていき、後輩が「自己受容」し、周りへの信頼をもち自分の自信につながるように導いていきたいと思います。

人は誰でも必要な存在になりたいと思っています。

お互いを信頼し合い、全員が「なくてはならない存在」であると思えるような「共同体」をつくっていきたい。

明るく、楽しく、やりがいをもって仕事に取組み、「存在価値」を高めていきたいと思います。


無敵の経営    

日時: 2015年08月20日

藤島

私達は日々、世の中から必要とされる価値がある企業として認められ続けなければ経営を継続することが出来ません。

特にサービス業に於いては、お客様や消費者が求めるものを生み出し、それを本当に喜んでもらえる形にして世の中に提供し続けることが重要です。

どの様な世界や業界に於いても常にそれを作り出すのは人であり、その人、ひとり一人がどのような心で生きているか、どのような魂で懸命に仕事をしているか、どのように人を思い自分に関わる人を大切にしているかが全ての基本であり、それは一日一日の人と人の関わり合いをどれだけ大切に考え、相手を気持ちよくさせる心遣いや感謝の気持ちを持って過ごしているかが問われることとなると思います。

良いものを作り出せる人はお客様に対しても、職場の人たちに対しても、そして友達や恋人に対しても、また親や家族に対しても、決して戦わず、常に愛を与え続ける心豊かな人であり、『敵がいない無敵』ではなく、『敵をつくる必要がない無敵』な人であると言えると思います。

人から愛される人は恒久的な平和を望み、あえて争いごとを作らない、穏やかで寛大な心を持ち、人も自分も許せる人間だと思います。


この事に関して、北川八郎著『無敵の経営』より『無敵な人』と言うのはどのような人のことかを学びましたのでここに少しご紹介をさせて頂きます。


『無敵な人』とはどのような人のことか

① 人の胸の中に灯りをともらせる人

② いつも前向きでポジティブに生きられる人

③ 笑顔が『美しいお金を運んでくる』ことを知っている人

④ 周りに幸せをもたらすことができる人

⑤ 自分の失敗も他人の失敗も許せる人

⑥ 大好きをいっぱい持っている人

⑦ 人の和を大切にする人

⑧ いつも明るい未来を語る人

⑨ 力(パワー)よりも心の方が強いことを知っている人

⑩ 人々を救う意識を育てそれを企業に生かせる人


つまり総じて言うなら、ただひたすら「善意の人格者」であること。

良き未来を見据えてゆったりど~んと構えることが出来て、腹をくくってしっかり生きる生命力溢れた人。

そうすると戦って生きるよりもトラブルと苦が少なく自然の理で栄えていく。

無敵には2通りあって、戦いに勝って勝って勝ち抜く『敵がいない無敵』と、戦わずして人々に好意を持ち多くの人々の生活に役立つ商品やアイデアで消費者の支持を得る『敵をつくる必要がない無敵』。

敵だらけの力でねじ伏せる人より、人望で味方だらけの人の方がはるかに良い結果になる、すなわち、これが『自然の理で栄える』ことになり人生が心豊かに成幸(成功)する大切な秘訣だと思います。