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『このブログは社員の成長と変革の為に人材育成として、いろいろな方々からのご指導を賜りながら日々、感謝力を磨き、個人の国語力と人間力を向上させ、企業力と組織力を高めることを目的として綴っております。そして、これが、このブログを読んで下さる方々にも少しでもお役に立てたり、励みにして頂けたらという想いで取り組んでおります。』 produced by 人材育成担当 毎床優子

八風

日時: 2016年01月12日

遠藤 乃倫子

新年明けましておめでとうございます。
旧年中はたくさんの方にお世話になり、心より感謝申し上げます。

2016年が始まりました。
年間通して、いつも思うことは、今年も頑張ろうです。
ですが、人生山あり、谷ありというように、毎日の中にも、毎月の中にも年間通しても、良い時もあれば、自分にとって少ししんどいなと思う時もあります。
これが、俗にいうバイオリズムかと思う時もありますが、でも、それで片付けてはいけない。
全ては必然であり、起こるべくして起こっています。
毎日、毎月、毎年新しい毎日がやってきます。

自分がどう生きたいか、どうしていきたいかという志が揺れたり、ふっと消えた時、見えなかった時が、一番自分にとっての試練が起きてくれるのだと思います。

あえて、試練が起きてくれるという言い方をしますが、それは、人生は必然で、どんなに頑張っていてもうまくいかない時もあり、例えば幼い生まれたばかりの子が親の勝手で死に至らしめられる程の事件をニュースでみると、人生は自分で決められないのかと悲しくなります。

だからこそ、今、子を持つ親としても、会社で管理職を担う年代となり、家庭でも社会でも、ここまで成長させて頂けて、頑張れてる事がありがたく、この先をどう生きていくのかを真剣に考え、懸命に1日1日を過ごさせて頂く必要があるのだと思います。

必然でも自分でどうにも出来ない赤ちゃんではないので、起きた事、起きている事に対して、自分の意志をしっかりと持ち立ち向かっていく強さを持たなければいけないと思いました。
グリム童話で『北風と太陽』は有名です。
風と太陽が、旅人のコートを脱がせる為に競うのですが、どんなに冷たい風を吹かせても旅人は頑なにコートを閉ざし、太陽の温かさがコートを脱がせます。
今までは、北風は冷たく、太陽の温かさが勝ちだと思っていましが、見方を変えれば北風も風の吹かし方次第で、また太陽と協力すればもっと違った脱がせ方が出来たのではないかと思います。
人生にはたくさんの風があることを知りました。
いい年になってきて知ってるつもりで、知らないことだらけを知りました。

仏教に八つの風のお話があります。

~~~~~~~~
『八つの風』

「ええい、ままよ、あしたはあしたの風が吹くさ」とやけっぱちでいう人がいる。
では、明日はどんな風が吹くかと聞いてもわからないからなさけない。

「上州名物かずかずあれど、かかあ天下に空(から)っ風」というように、突風や北風は人の身も心も寒くする。
だが、南風やそよ風と聞くと、心がほのぼのとしてくる。

そんなにも、風は人の心を動揺させるのである。

仏教では揺れ動く人の心を、特に「欲望」という煩悩の心を、「八風(はっぷう)」といって、八種類の風にたとえている。

その一は「利(り)」という風である。
世の中で、やることなすことすべてうまく行くときがある。
息子は国立大学へ一度で合格し、娘は有名高校に入り、妻も祖父母も健康だし、
自分の経営する会社は笑いが止まらないほど儲かっている。
覚えがある方もいらっしゃるだろう。
このときは、利益(りえき)という風が吹きまくっているのである。

そのニは「衰(すい)」という風である。
このときは、誰もがしゅんとなるときだ。
どんなに頑張っても、なにをやってもうまく行かない。
会社の売り上げは悪いし、おまけに息子が怪我をする、おばあちゃんは入院する。
これも思いあたる人がいるだろう。
このときは衰の風が吹いているから仕方がない。

その三は「毀(き)」という風である。
他人から、かげで非難・攻撃されるときである。
どうしようもないから、こういうときは放っておくしかてがない。

その四は「誉(よ)」という風である。
ほまれあること、かげでほめてくれることだから、ありがたく喜んでいればよろしい。

その五は「称(しょう)」という風である。
これは、目の前でほめられることだから、お世辞が入っているかもしれない。
気をつけるべし。

その六は「譏(き)」という風である。
譏は、そしることである。
それも、面と向かってそしってくれる。
聞けば腹は立つがよく考えると心底からいってくれているので、とてもありが
たい人である。

その七は「苦」という風である。
すなわち逆境のことである。
こんなときは、決して悲観してはならない。
希望を持つことである。

その八は「楽」という風である。
すなわち順境のことである。
このときは、有頂天になって自分を過信したり、人のことを馬鹿にしたりしてはならない。

これらの「八風」は、人の心を強く揺り動かす。

しかし、「八風吹けども、動ぜず天辺の月」というのがある。

「この地球上で、どんなに大風が吹きまくっても夜空を照らす月はちっとも動じない」
という意味だが、この月のように動じない哲学と信念を持ってもらいたいものである。

~~~~~~~~

自然界の風がいつ吹くか分からないように、八風もいつ吹いてくるか分かりません。
自分から風を起こすことも多々あります。
北風と太陽の風のように、吹かせ方を変えれば、また太陽と協力すれば何かが変わるように、自分が起こす風も起こし方次第で、心地のよい、相手にとっても自分にとっても良い風を吹かすことが出来るのだと思います。

春の風はとても気持ちが良い。
暑い夏に吹く風は、暑さを和らげてくれます。
秋の風も涼やかで心地がいい。
冬の風は、曇り雲や落ち葉を飛ばしてくれます。

物事は考え方、見方を変えればいくらでも変わっていきます。

セレンディピティという言葉があります。
『運命の扉を開く奇跡のような偶然の出会いをキャッチする能力』という意味で使われることが多いようなのですが、もとはペルシャのおとぎ話で、旅の途中で遭遇する困難を三人の王子たちが不思議な偶然によって乗り越えていくという「セレンディップの3人の王子』というお話からきているそうです。

要は日常の中で自分を良い方向に導く出来事に気づく能力という事です。
どんな事が起きていても、それは自分を良い方向に導く為の出来事で、それに気づき、自ら良い風を吹かしていくことが大事なんだと思いました。

「八風吹けども、動ぜず天辺の月」
自分の志をしっかりと持ち、信念に従って今年1年、良い風を受け、吹かせるよう心耳を澄まし2016年、社の発展と皆様の幸せ、家族の幸せ、自分を磨く事に全力で向かいたいと思います。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。


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生き生きとした人生を送るために

日時: 2015年12月24日

平 美穂

師走に入り、世間では年末恒例の「今年を表す漢字」や「今年を代表する出来事」などのニュースで賑わっています。


私もこの一年を振り返ってみると、職場で毎朝行われる朝礼、毎月行われる勉強会や、弊社のホームページでアップしていただいている社員のブログなどを通じて、沢山の素晴らしい言葉や文章に出合わせていただいたなと思いました。

自分なりに感じることだけでなく、皆さんの意見などを聞くことによって、物事は自分の見方だけでなく、人によって様々な見方や捉え方があるということを知り、自分にはない感性や考えを学ばせていただきました。


鈴木秀子氏 (国際コミュニオン学会名誉会長)の書かれた書籍に人の見方は様々で、それを知った上で自分の主張することを伝える、というものがあったことを思い出し

もう一度読み返してみました。


それは鈴木氏が芥川龍之介の短編小説「沼地」を読まれて感銘を受けられたことが書かれたもので「私たちが明るくいきいきとした人生を送ろうと思ったら、先入観なしに相手を受け入れ、自分が正しいと思ったことをはっきり伝える勇気と寛容さが必要です。」という言葉がありました。


最初にこの言葉を見たときは、自分の思ったことをはっきりと伝えるために、相手を受け入れるというのは、相反するように感じたのですが、読みすすめると、相手を受け入れることと、自分の意見を主張することは別のことで相手を尊重することが大事なのだと思ったからです。


その小説の内容はある無名の人の作品で「沼地」と題する絵を巡り、主人公の「私」と美術記者の様子を描写したもので、この絵に魅せられている「私」の前に、新聞の美術記者が現れ、つまらないものに感心すると言って「私」を見下すの場面があります。

「私」はこの画は傑作だと主張します。すると新聞記者は「私」の見る目のなさをあざけるように大声で笑いました。

それでも「私」はその部屋の片隅に置かれた誰も足をとめることのないようなひっそりとした絵の中に情熱と作者の生き様を感じ取り、「傑作です」と、「私」は記者の顔をまともに見つめながら、昂然として繰り返したのです。”


鈴木氏はこの短編を読んだ感想について次のように書かれています。


~~~~~~~~~~~~

この短編は、文壇の中で、立場を異にするゆえに、理解しようとしない人々に対しての、芥川龍之介の「我が道をゆく」という宣言とも読むことができます。

しかし、そうした背景を抜きにして、この作品にじかにぶつかる時、この『沼地』の中に象徴されていることが、私たちの毎日の生活とも密に繋がっているのを感じるのです。

私たちは、画や本や風景や人や、その他あらゆる芸術作品に、毎日対面しています。

例えば、一冊の本を取り上げる時も、多くの場面、人から題名とか内容について聞き、先に、ある程度の興味を持っています。

よいとか悪いとかの判断を往々にして、他の人の権威ある意見に頼りがちです。

自分が感じ取るものだけを頼りにすることは、不安なのです。

ましてや情報の溢れている現在では、いろいろなことにまず予備知識を持ち、それに照応しながら、価値の判断を下そうとします。

社会生活をしていく上で、これはもちろん必要なことです。

しかし、何か物事にぶつかった時、私たちは頭や心を空っぽにして、そのもののこちらへ語り掛けてくる無言の言葉に耳を傾けることが大切ではないでしょうか。

そして、相手のものから受ける感じを心で味わってみる必要がないでしょうか。

他人や、偉い人が何といってもいいでしょう。私に相手の人なり物は、こう語り掛けている。

そして私はそれをこう理解するのだという自信が尊いのだと思います。

「心の瑞々しさ」はそうした無心の状態からものごとの中へ飛び込んでみることによって、保ち育てられるのではないでしょうか。

「そのものが語り掛ける無言の言葉に耳を傾ける」ことが大事です。

~~~~~~~~

これを読んで、私は普段、職場でお客様や同僚、部下に真摯に向き合い、周りや相手にどう思き合っていくか、私はこの目的に向かってこのような考えを持っていますということを最優先にして伝えていかないといけないのに、相手がどう思うかとか、自分を守る事、逃げることをしてしまっていて、飲み込んでしまった言葉があると思いました。

それは人だけでなくものごと全て同じでつながっているのだと思いました。

さらに文章は次のように続きます。

~~~~~~~

『沼地』の中で「私」が、あくまで自分が感じ取ったことに忠実であり、世評がどでうであれ、自分の確信をはっきり言い切っている態度には見事なものがあります。

「私」は世評を代表する美術記者の自信溢れる意見に少しも動かされてはいません。

「私」は狂人の描いた画を深く理解し、無名の芸術家の苦悩と、人間としての叫びを感じ取っているからです。

一人の人間を許容し、大きな言葉で言えば、運命の共存を感じ取っている時、人は世間の評価には屈しません。

一人の人間の尊さが身にしみているからです。

「私」はこの世で報われることのなかった画家をありありと感じているのです。

そして、生命まで犠牲にして描いた一枚の小さな画から、彼の魂に触れているのです。

だからこそ、世間そのものである新聞記者のこの画を無視した不遜な態度に、正面から「傑作です」と記者の顔をまともに見つめて、昂然と繰り返すのです。

『沼地』を読むと、生きてゆくことは、何と勇気のいることかと考えさせられます。

他の人の立場をあるがままに受け入れることに、まず大きな勇気と寛い心が必要です。

そして多くの人のそれぞれの立場に理解を持ち、先入観なしにその立場を認めることも決して狭心の心ではできません。

ましてや世間の風当たりに逆らって自分が正しいと思うことを、独善的でなく、穏やかに述べるのは、平静な心と強い勇気が要求されます。

苦しい一生を送りながら、聖者と讃えられる人々の記録を見ると、何と多くの祈りが「勇気と寛大な心を与えてください」という叫びに満ちていることでしょうか。

世界中のどの人にとっても、いきいきと生き抜くには、真の勇気と寛い心が土台として必要なのです。


~~~~~~~

私はこの文章を読んで日々の生活の中で、自分の思いや考えを堂々と主張できるくらい、真剣に人や物事に関わっているかと思うと、いかに多くのことを先入観や既成の価値観で決めつけてしまっているかということに気づき、一つのものの見方しかできず、判断を感情に任せて下してしまっていたと反省しました。


職場でも常に「相手の立場にたって行動しましょう」と部下に指導している私が先に書いたように、自分の感情や思い込みで言いにくい言葉を飲み込んでしまうことがあると、周りに伝わる事はないと思いました。

まず、自分の主張したいことをしっかりとした根拠をもって、相手に真剣に伝えるために普段から自分の仕事や周りの方に真剣に向き合って、勇気と平静な心を鍛えていき相手の立場に理解をもって、先入観を持たずにそれぞれの立場を受け止める謙虚さを持ちたいと思います。


弊社では常日頃から、社員が学ばせて頂ける環境を整えてくださっており、それぞれのやる気次第で職歴、年齢に関係なく人間力を向上しようと社員全員で切磋琢磨しています。

人間力を向上させるということは豊かで充実した人生を送れる、と職場でも教えていただいています。

これからも皆で明るく生き生きとした人生を送れるように努力していきます。



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奇跡は起こすもの

日時: 2015年12月15日

今岡 憲成

先日のラクビーワールドカップでの日本代表チームの快進撃は、見ている人に大きな感動を与えてくれました。
強豪チームに勝利した時は奇跡が起きたと誰もが思い、私もそう思っておりました。
しかし、その後も格上のチームとの試合でも快進撃が進みその戦いぶりは素晴らしいものであり、奇跡だけではないのだな思い感じる事が出来ました。
格上のチームの選手は日本チームとの体格差もありながらも日本が勝利するには、想像を絶する練習と試合に対する強い思いがなければ、絶対に達成しない勝利だと思いました。
試合終了後、記者と交わるミックスゾーンに現れた選手のインタービューでは、穏やかな笑顔で答えられていたのが印象的でした。
インタビュアーからの質問で「この勝利は奇跡か必然か」と問われると、「必然です」と言い切られました。「ラグビーに偶然や奇跡はありません。長い間、いろんなものを犠牲にしてきた。間違いなく、世界一ハードな練習をしてきたのです。だから、走り勝つ自信はありました。」
「4年前から、日本ラグビーの歴史を変えようと思ってスタートしたチーム。南アフリカに勝てると信じ切っていたし、それを体現できた」と自信を膨らませておられ思いのこもったのインタービューでした。

その様な事は、他にも世界で活躍されるスポーツ選手も同様で、不利な体格差があっても、世界で活躍をされている、テニスプレーヤ錦織選手やメジャーリーガーのイチロー選手も同じように、努力を重ねられ必然として好成績を残されておられます。


『仕事も人生も好転させる 夢実現の習慣64』原田隆史著にも夢を実現する心構えが書かれていました。
原田隆志氏は中学校の陸上競技部監督として、7年間で13回の日本一に導かれた指導者です。
~~~~~~~~~
「成功に必要なことは、成功するまであきらめないこと」原田隆志著
目標設定をしたら、途中に期日目標やその日の目標などの小さな目標をたくさん設定します。
それを継続してやりきっていくことで、螺旋階段をあがっていくように徐々に目標に近づいていきます。
そして、小さな目標を達成していくためには、心を強くしてやりきる力を養うことが大事だと伝えてきました。
目標設定をしたときに、あるいはした後に、絶対にやらないでほしいことがひとつあります。
それは、立てた計画・目標を途中で無理だとあきらめてしまうこと、やめてしまうことです。
もっというと、安易に、設定した目標を下方修正してしまうことです。
陸上日本一の目標を立てていても、途中で全国大会に出られればいい、と目標を変えてしまったら、もう二度とその人は日本一にはなれないでしょう。
一度あきらめの気持ちをもってしまうと、もう一度それを覆して高い目標を設定し直すことは、かなりのパワーがいることだからです。
それよりは、一度決めた目標をあきらめない、あきらめたら成功できないのだ、と自分に言い聞かせてできるまで続けることのほうが簡単で、大切な極意です。
~~~~~~~~~

成功する前に自分に妥協してしまうと、成功は出来ないばかりか、それまでの努力が無駄になってしまいます。
私もよくやってしまう事で、ある程度できてしまうと、「これでいいか」と妥協してしまう事がよくありました。
それでは今までのしたことが無駄になってしまったり、遠回りしてしまっている事にさえ気づきもしていませんでした。

成功に必要なことは、目標に向かっての計画づくりと、それを継続して、実行していく強い心が大切だと思いました。
忍耐力を持って、決めたことを地道に達成していくことなのです。
くじけそうになってしまったら、自分はまだやれると言い聞かせるようにしていき思いが強くあればあるほど、それらは必ずいつか叶えられます。

「奇跡は起こるものじゃない、起こすもの」
奇跡は何にもしなくて訪れるものではなく、起こすべき努力をするからこそ奇跡を起こせるものだと思いました。
それらを継続する事で、本物にもなります。
奇跡を起こすと多くの人に感動を生み、思わぬ力になる事もあります。

わたしも思い返せば奇跡を起こる事を祈る事が多かったと思いますが、実際は奇跡が起こる事は、ほとんどありませんでした。それは当然の結果です。
努力なしでは、奇跡が起こる事はまずありえません。

今からでも目標を決めたなら、妥協をせずに小さな目標を積み重ね自己ベストを出せるよう、やり切る事を実践していきます。
人に喜んで頂ける仕事をする為に、今後も多くの人と出会い、人と携わる事で多くの事柄を吸収し経験を積み重ね、しっかりと地に足をつけ目標を見据えた行動をしていき、携わって頂いた方への感謝の気持ちを持ち続け、多くの方が感動や喜んで頂ける様な人生を歩んでいきたいと思いました。


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正当化

日時: 2015年11月27日

遠藤 乃倫子

仕事を通じて今までたくさんの事を学ばせて頂いてきました。

『事実』をしっかりと受け止め、状況を素早く判断することの大切さを最近よく感じます。

『事実』は1つです。が、本人の解釈により1つの事実が2つに分かれてしまう場合もあります。

ただ、当人にとっては、それが事実。
それが自身にとっての事実であっても、もし他の人が違う事実を示されたら、まずはその状況を冷静に見極めていく必要が社会人として必要ではないかと思います。

まずは、主観ではなく今ある状況を受け止める、素直に受け入れる事も学ばせて頂いたうちの1つです。

昔は、自分が正しいと思ってるのに違う事実が来た時、なんで?
と全く受け入れる脳ではなかったのですが、いろんな経験を積ませて頂いて、勉強していく中で、個人の主観で自己を正当化し、事実をその主観でしか見れないのは、自分にとってもすごく損な事で、もっと視野を大きくし、柔軟に物事を見ていく必要があると思いました。

心理分析をされてる方が10年ほど前に書かれたブログに下記の『正当化』に関するものがあります。

改めて勉強になりました。

~~~~~~~~
【正当化】は、  自分の責任を認める、 × 行為の被害を認めない

と、いう方程式です。「確かに私がやりましたけど、それがどうかしましたか?」
「そのくらいのことで、いちいちうるさく言われたくありません」
「どうしてこれが問題なのかわからない」
「私がそうしたのは、周囲のせいです」

などが、【正当化】のいいわけです。
【正当化】は、知識がついてきた頃の子供が使いはじめるいいわけです。もちろん、大人でも使う人はたくさんいます。

【正当化】する人の心理は、主に2つに分かれます。

知らん顔、不可抗力であれば許されるはず系
私の責任は他人のせい系(いわゆる責任転嫁) の2つです。

【正当化】する側の心理は、 「私は素直、物事は重要ではない。だから早く終わらせよう」

【正当化】された側の心理は、 「問題は、問題なんだよ。ちゃんと考えてよ」です。
【正当化】する側の力が強い場合、 「小さなことでいつまでもくどくど言ってんじゃないよ」が、通る傾向にあります。

逆に言うと、力関係の強度が明らかであれば、都合の悪いことから逃れるために【正当化】を使う
可能性があります。

■知らん顔、不可抗力であれば許されるはず系

行為の被害を認めないことに力を入れるタイプが、この系統です。

「まあまあ、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」 「どうしてそれを問題にするのかわからない」などと言う口癖の人はこの系統の人です。

攻撃的な人は、 「どうしてそれが問題なのか説明してみろよ」
「いつまでもくどくど言わないでよ」という発現で問題となっている論点以外のことをぼやかしたり、問題のすり替えを行ったりします。

【正当化】は度が過ぎると、攻撃性に結びつきやすいいいわけです。

■私の責任は他人のせい系(いわゆる責任転嫁)
自分の責任を認めながら、その責任に対して【弁解】するのがこの系統です。
「でも、その状況でああする以外にどうできた?」
「飲みに行くのも仕事なんだよ。部長の誘いを断れるか?」

などの発言は自分の責任に特化した【弁解】です。
【正当化】と【弁解】を組み合わせた、
なかなか上級者ないいわけです。

攻撃的には使えませんが、積極的に使うとこうなります。一応自分の責任は認めるものの、その責任は「しょうがない」「自分のせいじゃない」などと決めつける方法です。

【正当化】が続くと、それをされる人はうんざりして話す気がなくなってしまいます。

個人的にこういう体験をしました。

業者との窓口担当者の態度が悪い、というクレームが私のところに来ました。
確認してみると本当に悪い。
時間を取って正面を向いて、しかし話し方はソフトに、内容と解決方法は具体的に指摘しました。
そのとき担当者はこう言いました。
「私の言い方も確かに悪かったですけど、その人 私に直接言わないのってどうなんですか?」

この発言には、「でも、仕事はちゃんと進んでいる」というニュアンスも含まれていました。
行為の被害はそれとなく否定していたわけです。

そして、自分の責任は認めたものの、相手の態度を否定することで問題をすりかえているのがわかります。

【正当化】は、自分への不当(だと思っている)追求を避け、その不当(だと思っている)原因のせいで自分が嫌な気分になっているという図式がよく見られます。

【正当化】のいいわけをする人は、心があまり強くない人です。

自分の責任を否定するほどの度胸はないが、だからといって悪者にはなりたくないという心理を持っている人です。

マイペースな人が多い反面、実際には人のせいにするという人が多いのが特徴です。

自分が責任を認めている素直さを解決策を示すことで信頼に変えたり、行為の被害がいかになかったということをもっともらしく話します。

多くの場合、このような説明は一度納得してもあとで家に帰って考えてみると「やっぱりおかしい」
という形で思い起こされることがあります。

こういったところに注意して観察してみると、【正当化】を使っている人が明らかになるでしょう。

~~~~~~~

さて、自分はどうでしょう。
人の事はよく見ているのに、案外自分の事が全く見えてない事があります。

上記を読んでいると、『正当化』ってなんて恰好悪いんだろうと思います。
無意識に発している発言が、この正当化に当てはまっているとしたら、穴があったら入りたい程、恥ずかしい事だと思います。

無意識に発する言動は、自身の深層心理です。
本来の性質が無意識に出てしまいます。

自分を大本から見直し、もし今『正当化』してしまっているなら、改めていく必要があります。

【正当化】のいいわけをする人は、心があまり強くない人です。とありました
が、じゃあ心が強い、弱いってどういう事かを考えてみると、心が強い人は自分を客観的に見れて、事実を柔軟に受け止め、自分の間違いがあった時は素直に認め改める事の出来る人ではないかと思います。

私は心が弱いから・・・という言葉を発するのは、自分の不出来を正当化しているだけになります。
”弱い”という事で、自分を防御しています。

心理学用語で『セルフ・ハンディキャッピング』という言葉があります。

※意味:たとえ失敗しても自尊心を保てるように、あらかじめ自分にはハンディキャップがあると主張したり、実際にハンディキャップを作り出してしまうことをいう。
試験の前に、風邪で勉強が十分にできなかったと言い訳をして予防線を張ることなどがこれにあたる。

正当化したり、防御線をはったところで何も自分に良い事はありません。

本当の自分の守り方というのは、昨日よりも、1ヶ月前よりも、1年前よりも出来る事を増やし、考える知恵をつけ、素直に柔軟に物事を理解してて行く力をつけていく事ではないのかと思います。

自分の守り方が分かっていれば、人も守れます。
また、攻め方も分かっていきます。

攻めるといっても、人を責めるのではありません。
攻めるというには、自分の人生に挑むという事です。

これからもいろんな分野に目を向け、何が出来るのか!何をしたいのか!何が出来たのか!
を、ワクワクしながら経験を積ませて頂き、自分の人生に挑むことを楽しんで参ります。



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人生を変える言葉

日時: 2015年11月24日

先日、毎月恒例の社内勉強会が行われ、担当として司会進行をさせていただきました。
社員全員の協力のもと、緊張しながらも充実した時間を過ごさせていただきました。

勉強会の担当は毎回、交代で行い、「今月はどんな内容にしようか」と同じ部署のメンバーと話し合う時間も楽しいものです。

違う部署の社員と、毎回違うテーマについて話し合ったり、月刊誌「理念と経営」から出題されるテーマに沿って様々な意見を聞くことも出来る貴重な時間です。

今月は新しく入社されて間もない、二人の仲間を迎えての勉強会でしたので私も入社した頃を思い出し、とても新鮮な気持ちで進めさせていただきました。

新しい方を中心に全員の自己紹介の後、「理念と経営」の記事の中から、それぞれの意見、感想を述べました。

今月の「理念と経営」の設問に使わせていただいた記事は「たった一つの言葉にも、人生を変える力があります」というテーマでアスリートと作家・文人の方々の”豊かな言葉”が多数紹介されていました。

その記事を読んで全員が心に残った言葉について感想など自由に発表しました。

私も今まで本を読んだり、心に響く言葉や文章に出会うと手帳にメモをして、時折読み返す事を習慣にしていました。

今思い返すと、その時に必要な事や心の底で望んでいることが、潜在意識にあって無意識に、関連した記事や文章を追っていたり、言葉を選んでいたように思います。

助けられたり背中を押してくれるような言葉や本を無意識に選んでいたのかもしれないなと思いました。

記事の中に沢山の素晴らしい言葉が掲載されており、私が特に心に残った言葉は、清宮克幸氏の言葉でした。

克幸氏はヤマハ発動機ジュビロの監督で、第52回日本ラグビーフットボール選手権大会でチームを初優勝に導かれました。
長男、幸太郎選手は高校野球選手権大会を大いに盛り上げ、次男、福太郎選手の属するリトルリーグチームが世界一に輝くなど2015年は父子そろって脚光を浴びられたアスリートファミリーの父としてメディアに注目されておられます。

克幸氏が子育てでも、チームの人材育成でも持論とされているのが「言葉が大事」で、重視するのは「目標を達成するためにクリアしなければならない課題は何かを、きちんと見極めること」だと仰っています。

さらに、人から言われるままに努力するのではなく、自分で課題を考えてそれを言葉にする。
「語ると失敗を繰り返さずに成功を続けられる」と克幸氏は「日刊ゲンダイ」(2015年5月16日付)のインタビューでも言われています。

私も、この記事を読んで思いを言葉に出す事で責任が生まれ、実行するために精一杯努力するようになると思いました。
言葉には責任がついてくるので慎重に扱い、信用につながるという事を自覚しないといけないと思います。

職場でも沢山のことを教えていただいていますが、その中の一つに「言葉を大切に扱うこと」があります。

「言葉」はその人の思いを伝えるでけでなく人間性や品格を表すとも言います。

「思い」がないと言葉に表れないですし、「思い」はこうなりたい、こうありたいと思い描き、実現するために努力し続けないと生まれてこないと思います。
清宮克幸氏が述べられたように自分への課題を考えて、真剣に「思い」、ビジョンを言葉にして覚悟を持って自分自身にも周りにも公言していき実現するために努力をしていきたいと思います。

いろんな分野で優れた言葉を残されている方は、地道に努力を惜しまず普通の人の何倍も何十倍も努力をされた方だと思います。

私はこれからも、そのような方々の残された、人生を変えるような素晴らしい言葉に沢山出会いたいと思いますし私自身も良い言葉を選び、相手に伝えたい事を正確に伝えるように言葉を大切に扱っていき、なりたい自分になるための努力をしていき豊かな人生にしていきます。


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